日本のシャルル・アズナヴール=菅原洋一
フランス・シャンソン芸術協会発行シャンソン・ディプロム(免許状)最高位「グローリア」を授与された菅原洋一。 過去、瀬間千恵だけに与えられていたこのディプロムは、カトリーヌ・アトラニ同協会創設会長が瀬間千恵の歌唱を聴いて「日本にも、これほどまでに素晴らしい歌手がいた!」と驚いたことによるというエピソードがある。...
View Articleシャンソン異聞 / 櫻葉涼太
『愛と人生の歌=シャンソン 2019.7号より』<「モンデュー」の正しい歌い方>日仏シャンソン協会日本支局長・加藤修滋が、シャルル・デュモンをオデオン近くのマンションに訪ねた折のこと。エディット・ピアフが歌って大ヒットした「モンデュー」のラスト・ワードを、f で歌うか P...
View Article昨年は秋田犬、今年はナマハゲ
秋田公演、昨年はミッシェル・グラスコは参加せずシャンソン大使=デランカントの2人プラス2人の子ども。公演翌日は、秋田犬とのふれあいで2人の子どもは大はしゃぎ。デランカントの2人は竿燈に挑戦。今年、ミッシェル・グラスコは男鹿半島まで高瀬公樹さんが車で案内して下さり、巨大なハマハゲのモニュメントで記念撮影。...
View Article岐阜公演第1弾はサラマンカホール
秋田に続き、岐阜もパイプ・オルガンのあるサラマンカホール。会館誌を見て、ミッシェルがビックリ。パリ・オペラ座バレエ団の伝説のエトワール=アニエス・ルテスチュが10月に出演するので、そのインタヴュー記事がのっていました。公演の告知の頁にアニエスと一緒にミッシェルや青山桂子、アルビナも写真が掲載されているので、ミッシェルは大満足。...
View Article継続は力なり=大石直美11年間の実績
昨年第1回静岡パリ祭を挙行した浜松のシャンソン歌手=大石直美。地元・浜松では14年連続ディナー・ショーを開催。シャンソン大使ヴェロニク・ペステルとの共演を手始めに、11年間、継続してフランス人アーティストとの共演を重ねて来た成果は、目を見張る成長!...
View Article完成!魅惑のシャンソン・カラオケ決定盤
発売後1年で完売した「シャンソン・カラオケ大全集」(11枚組)に続いて、良く知られたシャンソンを中心に新しく2枚組のシャンソン・カラオケ誕生。 ミッシェル・グラスコのアコーディオンを中心にしたシンプルなサウンドの逸品。歌の練習だけでなく、シャンソン伴奏をするミュージシャンにとっても、またとない教材。40曲収録(2枚組)の中には、アコーディオンだけのソロ伴奏もあって、これがまた絶品!!...
View Article岐阜2ヶ所目のステージは、定員オーバーの盛況
毎年、シャンソン大使の岐阜公演場所となっている岐阜じゅうろくプラザの「ラ・ローゼ・プロヴァンス」は過去最高人数のお客様。岐阜は、今年新しくパイプオルガンのあるクラシック・ホール「サラマンカ・ホール」で、予想をはるかに上回る500名の入場者があったばかりなので、当日まで集客不安がありましたが、予想を見事に裏切られて(?)幸せでした。...
View Article“横浜のエディット・ピアフ”?佐川由紀子さん
シャンソン大使受け入れ資格の第1位となっている、シャンソン・ディプロムd'Orを取得されているのは全国で5人だけ。その一人、佐川由紀子さんは、かつて「ドール」というお店で若い歌手や演奏者育成をされていました。今はお店をやめて、NPO法人を立ち上げ福祉活動に取り組んでおられます。...
View Article「江戸川パリ祭」 9年連続日仏文化交流
東日本大震災を機にチャリティー・コンサートを始められた星野SHOKOさん。「江戸川パリ祭」と銘打って、都内唯一、毎年詞シャンソン大使の受け入れをされ、日仏文化交流コンサートとして9年間の実績を持っておられます。 東京で最初にシャンソン大使の受け入れをされたのは石井好子さんでしたが、それを引き継いだ形となっています。...
View Article八千代パリ祭でのミッシェル・グラスコ
昨年同様、八千代パリ祭は実行委員会スタッフのスムーズな動きでとどこおりなく進行。 ミッシェルは「文太郎さんと親しく話せて良かった」と言っていました。音響の田島さんとも顔なじみで安心してまかせていました。彼が歌も歌うと知って、ミッシェルは「来年は音響テクニシャンでなく歌手として、ご一緒したいです」と冗談を言う程、日本語が達者になりました。...
View Articleブログ再開
長い間、負傷&疾病でベッドの住人となっていました。 ようやく活動再開という時に新型コロナ騒動。 その余波で日々の暮らしだけでなく、人の心も潤いを失くし濁って行くのがわかります。 以前からメディアは殺人や事故、政治家の不正は報じても 善行をした人のことを報じ、衆知することが少なかったのですが、 今は、毎日○○人陽性、入院ばかり報じて○○人完治とか退院を報せず、不安ばかりを人の心に植え付けています。...
View Article日仏シャンソン協会 組織変更
1988年、日本で結成された日仏シャンソン協会は、翌1989年フランスで結成された Franco-Japonaise de la chanson(仏日シャンソン協会)と合併。 略称AFJC、日本での呼称を日仏シャンソン協会として、様々な活動を展開。 昨年会長のJean Marc Jallon逝去に伴い、その功績を讃え会長職を彼一代限りとし、各々に「フランス代表」(Jean-Pierre...
View Article「STAXスピーカー」実地検証の提案者・朝倉俊博
カフェ・コンセール・エルムには、人間の背丈ほどのスピーカーがあります。その名は「STAX」でヘッドフォン・メーカーとして熱烈なファンを持つ。しかし、スピーカーは一部のオーディオ・マニアにしか知られず、ましてコンサートで使用されることはありませんでした。...
View Article永田文夫氏の遺言
シャンソンをはじめ、ラテン・タンゴ等多くの外国曲や歌手を日本に紹介した、文字通り日本ポピュラー音楽界最大の貢献者・永田文夫氏が亡くなった後、業界関係者も音楽愛好者も指針を失いました。 単なる評論家におさまらず、執筆・訳詞そしてコンサート・プロデューサー、歌手育成‥‥あらゆる分野で大きな役割を果たされました。...
View Article次々とあかされるアズナヴールの人脈
シャンソンの父と言われた(その称号は、永遠のものとなるでしょう)シャルル・アズナヴールの死後、その広い人脈が次々と知られるようになりました。 特にアリアンス・フランコフォン(世界108ヶ国に会員を有する「フランス語圏協会」会長のJ.R.ギオン氏のメッセージには驚かされました。...
View Articleフランスのアーティストから続々と新譜の贈り物
シャルル・アズナヴールが新曲を出す度に楽譜をプレゼントしてくれた上に、何曲も「法定訳詞」として登録してくれました。 彼が「シュウジは日本に於ける私の作品の訳詞者」と、事ある毎に仲間のアーティストに言ってくれたおかげで、私はSACEMから日本人初の功労賞メダルを授与されました。...
View Article名古屋シャンソン・ヒストリー
以前からメディアに要求されていた「シャンソン都市=名古屋」の起源から今日までのレポートがようやく完成。 あとは、それを裏付ける資料・印刷物を探して添付するのみ・・・・・と言ってもそれが大変。若い時代の手書きの資料からワープロ打ちのもの、パソコンの中のもの・・・・・散逸しているものも多数。 でも改めて書いたものを眺めてみると、実に色々な場所で多くの人がかかわっている事に驚かされます。...
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