『愛と人生の歌=シャンソン 2019.7号より』
<「モンデュー」の正しい歌い方>
日仏シャンソン協会日本支局長・加藤修滋が、
シャルル・デュモンをオデオン近くのマンションに訪ねた折のこと。
エディット・ピアフが歌って大ヒットした「モンデュー」のラスト・ワードを、
f で歌うか P で歌うかの話となりました。
ピアフは「アンコール↑」と、声高らかに歌い上げています。デュモンのLPでは「アンコール↓」とイントネ
ーションを変え、声をひそめて歌っているからです。これを指摘したのは、加藤修滋の母でした。
デュモンいわく「ママKATOの言う通り、神への祈りは心の中でするもの。
でも偉大なエディット・ピアフが叫んで歌うので、私も今ではfで歌う」
その年の12月25日、シャルル・デュモンから、日仏シャンソン協会日本支局へ録音テープが届きました。
「ママKATOが望んだとおりの歌い方で、レコーディングをしたよ。X’masプレゼントです」との添書き。
デュモンの自宅にある、年代物のプレイエルのピアノで弾き語りをして贈ってくれたテープには、
椅子のきしむ音も。
デュモンは、後日「人生最初の自宅録音。おそらく人生の最後のレコーディング」と語ったと言います。
この貴重な録音は、故・加藤ハツ館長を偲ぶ会で参加者500名全員に配布され、
日仏両国で話題となりました。
<音楽で結ばれたローラン・ヴァンサンとママKATO>
日仏シャンソン協会日本支局理事長であった加藤ハツは2014年7月10日逝去。
火葬上で荼毘に付されるその時、一人息子・加藤修滋は東京でパリ祭に出演中。
携帯電話に“出棺なので最後にお母さんに電話でお別れを言って……”との連絡があり外へ駆けだしたものの、嗚咽のみ。ステージへ戻っても、うつむいたままの加藤修滋に、同行していたシャンソン大使=J.P.メナジェは肩を抱きしめて約束をしました。
「ママKATOの好きだったCHEZ LAURETTEを日本公演のすべての都市で追悼演奏するよ」
約束通り11都市でアコルディナによる美しいメロディーが多くの人々の心に響きました。
帰国後、メナジェは友人であり、CHEZ LAURETTEの作曲者であるローラン・ヴァンサンに、
この逸話を伝えました。ヴァンサンは、手書きで一晩でこの楽曲の楽譜を書き上げ、
加藤修滋へ贈ってくれたと言います。
「加藤ハツさんへのオマージュ」と印された楽譜は、シャルル・アズナヴールが「日本のシャンソンの母」と呼んだ加藤ハツへの何よりのプレゼントにちがいありません。
<ミスチグリ最後のステージと遺品>
1960年代にモンマルトル、モンパルナス、ピギャール等のキャバレーで
シャンソン・レアリスト(現実派女性歌手)として注目を集めた歌手・女優のミスチグリは、
2010年夫(文筆家ジルベール・ガンヌ)の死後、歌う意欲を喪失していましたが、
2014年11月日仏シャンソン協会による日仏友好コンサートがユーロペアン劇場で開催されることになった時、シャンソン大使経験者のアコーディオン奏者=ミッシェル・グラスコの推薦で、
シャルル・デュモンと共にゲスト出演が決まりました。
彼女のカムバックを祝福する拍手は、メイン歌手のシャルル・デュモンに勝るとも劣らず、
ユーロペアン劇場に鳴り響きました。
それが彼女の人生最後のステージとなったのです。
そして、その翌日、ポール・レイ劇場で開かれたエルムの歌手によるコンサート会場に、
ミスチグリは出演歌手全員分のプレゼントを持って現れました。
それは綿花のドライフラワー。今もエルムに彼女の想い出と共に飾られています。