東日本大震災を機にチャリティー・コンサートを始められた星野SHOKOさん。
「江戸川パリ祭」と銘打って、都内唯一、毎年詞シャンソン大使の受け入れをされ、
日仏文化交流コンサートとして9年間の実績を持っておられます。
東京で最初にシャンソン大使の受け入れをされたのは石井好子さんでしたが、
それを引き継いだ形となっています。
コラボレーションするのはプロ歌手だけではなく、生徒さんも加わっていますが、
今年のシャンソン大使=ミッシェル・グラスコは、そうしたアマチュアの人の伴奏を好んでします。
アマチュアはフランス語のアマトゥールから来た言葉で、「愛好者」を意味します。
真にシャンソンを愛し、ライフ・ワークとして歌い続けている人こそ、
シャンソンの擁護者だという考えを持っているシャンソン大使です。
「打ち上げ」という日本語も覚えていて、それも楽しみにしていた様子。
この日は、出演歌手のタマ-ラと話が盛り上がっていました。
それにしても、昨年、大先輩でもある盟友を亡くし、今年、お母様を亡くされるという
哀しい1年にもかかわらず、「江戸川パリ祭」を成功させたその行動力と
プロデューサーとしての責任感に頭が下がります。
加えて、コンサート当日は「四十九日」にもかかわらず、家族にまかせてステージを
務められた歌手魂にも。
そう言えば5年前、私が母を亡くした時もシャンソン大使=J.P.メナジェと日本ツアー中で、
「江戸川パリ祭」のリハーサル中に母は火葬されました。
7月に亡くなった母の位牌と対面したのは1ヶ月たったコンサート・ツアー終了後だった
ことを想い出します。