学生時代から「変な子」でした。
その理由は、きっと中学1年時、学友に頭を叩かれ
頭部外傷後遺症になったから?
ドクターから「生命の保証はできない」と宣言され
母と祖母は私と共に無理心中も考えた・・・・・とは
成人してから聞かされました。
他人と違う発想の根源はそこなのかも?と、
先日のEテレ「ハートネットTV」で
「七感に響くコンサート」を見て思った次第。
殆どの人が持っているものを無くすと、
逆にその人たちの持っていないものが芽生える・・・・・。
コンサートや芝居で、嗅覚を使わないのは何故?という発想から
原爆をテーマにした作品を企画した際に
リアルな感じを表現する為に、床屋から頭髪を集め
焚き込めたミュージカルをしました。
吐きそうになる入場者続出で、使用したホールは利用禁止に。
でも後日、”磨赤児” が「鈴蘭南座」で行った公演では
魚の尾ひれを大量に入口に貼り付け、
嗅覚が破壊されそうになった事あり。
一方、パリでは人気歌手の ”ルノー” のコンサートで
ステージも客席もタバコの煙が充満する中で
行われたコンサートも。(今なら受動喫煙で訴えられそう…)
更に後日、岡山加代子リサイタルで、
ゲスト出演のアコーディオン奏者、桑山哲也が
本番中の舞台でヘネシーを飲む演出をし
「あきれたお前」の役を演じた後に
酒の臭いを漂わせながら
客席をラウンドしてもらう・・・・・。
私が「タンゴ・デ・ラ・エスペランサ」でピアノ担当していた時
アストル・ピアソラの前衛タンゴを気に入った理由のひとつに
コントラバスの打撃奏法があった事。
そしてピアソラを超えるべく、名古屋市民会館自主企画コンサートで
トランペット、トロンボーンを加え、
更に8小節のリフレインを4種類用意し、
どこを弾いても良いというチャレンジをしたり...。
(これが後にピアソラに気に入られる事になろうとは)
思えば50年間に人のやらない事ばかりしてきたと思い返しています。