J.ブレルの遺作「Jo Jo」の中の一節に
“大切な人が早く死んで・・・・・”という一節があるように
エルムを開設する原動力となった
「軽音楽の集いmss」時代からの歌手、後藤いく子さんが早逝。
自分より若い年齢の方の訃報は、より一層、胸を締めつけられます。
ひときわ輝く歌を歌い、エルムが開店してからも
水野正巳君のベースに支えられてライブ活動。
毎年のコンサートも精力的に続けてきました。
mss時代の音楽仲間同志の結婚で、仲人を務めたものの
その後、これと言った助力もできなかった事が心残りです。
通夜にAJU自立の家の山田氏はじめ、
多くのメンバーが車イスでかけつけ、
歌手だけでなく福祉活動にも尽力を続けれらた事が伺われました。
エルムの誕生日である7月3日の訃報である事にも何かの因縁を感じます。
愛息・旭君が日本唯一の劇場月刊紙「ナゴヤ劇場ジャーナル」の
トップページに写真入りの記事掲載された事を見届ける事ができたと思うと、
これからの旭君の人生のライフワークが決まった日でもあると感無量です。