コロナ禍倒産第1号は愛知県の老舗旅館。
公式手続をとらずに店をたたまざるを得なかった所を含めると
その数300超えとか。
シャンソン系のライブハウス(フランス語の本来の意味とはちがうけれど
一般に「シャンソニエ」と呼称)も次々と姿を消しています。
我々の「カフェ・コンセール・エルム」もこのままでは”座に死を待つのみ…”
飲食店とちがい「テイクアウト」に活路を求められず
(いわば、昔で言えば「河原乞会」の集合体。今ならフリーターの巣窟なので)
いつ、我が身…?
その前に、人知れずひっそりと、しかし山積みしているエピソード
(と言えば上品だけど、早い話が裏話し)を書き連ねることに…。
まずは、【その1 エルム第1黄金期と美人客】
エルムが始まって少したった頃、客席に美人の外国人が目立ち始めました。
その殆どが、いわゆるフィリピ―ナでパブやスナックで働く女性。
私が"元ケースワーカー"であったことの縁で、
とあるフィリピン人ホステス殺人事件被告の母親が裁判で来日する度、
精神的ケアに携わった事が、その仲間たちの間で知れ渡り、
彼女たちの中で心を病む人のカウンセリングをボランティアで開始。
すると、彼女たちが同伴出勤前に、お客様とエルムへ来る人が続々。
当時のフィリピン・パブの客層は今とちがい、音楽好きな人も?
お客様にしてみれば高いレストランで食事をして同伴出勤するよりも、
エルムなら2人で1万円以下というのが魅力だったとか…。
そのうちに多国籍の(東欧や中南米、時にはロシアン・パブからも)ホステスさんも。
ただし、皆1ステージが終わると、自分の店へ出勤するのでエルムの客の回転数上昇。
エルムのお客さんも、ステージではなく客席の美人観察?をする為に来店?
この時のホステスさんが後に劇場コンサート(岡山加代子ハートフル・シャンソン・リサイタル’01)の折にモデルや歌手として無料出演してくれたというのが裏話しです!