この数年、シャンソン・ライブやコンサート会場で疑問に思うこと有。
①歌手が、自分の笑い声をマイクに入れるので、歌そのものが
添えものになっている。(かつては、笑うのは客席で、ステージ上の
人は笑わせる側だった)
②息を口でする音がマイクに入る。(呼吸は基本的に鼻で吸って、
口から吐くもの)
③「ブラボー」が多量かつ軽薄に飛びかう。(プロのフェスティバル形式
のコンサートでも)
④歌手が1曲ごとに「ありがとうございます」と言う。(「有り難い」とは、
滅多にないことから来ているので、ステージの最後に1回で充分)
⑤大音量の渦の中で聴くライブやコンサートが多い。(繊細なピアノや
ピアニッシモで歌う人が少なくなった)
先日、何年か振りに仲マサコさんと電話でお話しした折に、
意見があったのは、このところ歌そのもの(特にシャンソンという
フランス発、日本で成長した文化)に対する、愛情・愛着を持たない歌手
がふえ、声のかたまりのような歌手=作品としての楽曲へのリスペクト
が不足する人が見受けられるとのこと。
かつての銀巴里はじめ、多くのシャンソンニエでは、歌に愛着を持った
シャンソン歌手があふれていたのに……。