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Channel: 加藤修滋のブログ
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遺稿回想1

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母亡き後、出版直前まで準備されつつ、版元の社長が病に倒れられて陽の目を見なかった遺稿があります。母を偲ぶ会の記念誌に掲載されたその一部に、幾人もの方から

「感銘を受けた」と賞讃いただいて来ました。

自分自身の難病が80%回復した今、読み返してみると、心の琴線にふれるものがたしかにあると

思えて来ました。

その一部を転載したいと思います。

 

……………………………………子どもと共に(平成二十年……………………………………

                     【我が子を保養園に送って】

 

「ママ、武豊へ行ったら、だれにだっこされて寝るの?」

一人寝の淋しさも手伝って、床に入るときまってこう聞き始める。

それを言われると、私は胸がはりさける思いで、嗚咽をぐっと噛みしめる。

「ねぇ、ママ武豊へ行ったら、もう一緒にねんね出来ないから、だっこしてねんねしてよ……」

涙を見られまいと精一杯の努力で、何を言われても机上から目を離さぬ私にせがみつづける我が子。

たまらなくなって「あなた一年生になったのよ!早く寝なさい!」

と、やっとの思いでかん高く叱って、後は涙…。

 

 思えば、加藤家の後継として祝福されて生れた筈の子ではあったが、次々と襲いかかる底知れない

恐ろしい不幸は、遂に祖母と母と子の三人暮らしに追い込んでしまった。浅学の私は生活のために

昼は勤め、続いて夜間大学へと急ぐ毎日であった。しかし病弱の祖母に乳離れしたばかりの孫を、

早朝から深夜まで任せられなくて、幼い我が子を背負って大学の門をくぐらねばならぬ事も度々であった。

 そんな幼い日の無理もこの子の体を弱くした遠い原因であったのではなかったろうか…生れてから

数年間、病気も知らずにすくすく育ったこの子が…。

 

 不幸の悪魔は、最愛の我が子までさいなもうというのであろうか…名大からの健康診断の結果を電話

で聞いた時、全身の血が一時にサッーと引いて、ぐらぐらと激しい目まいを感ぜずに居られなかった。

 私にとって、この子だけが生きる糧の総てでもあった。今日まで襲い来るあらゆる不幸も、この子故に

歯を食いしばって堪え、やっとの思いで生きのびて来た私にとって、掌中の玉を奪われた様な取り返しの

つかない言い知れぬ悲しみが、後から後からこみ上げて、親としての責任を容赦無くさいなむ。

 

 この子の長い将来の為に、プラスになる事ならば、どのような苦しみにも、悲しみにも堪えねばなるまい。

 施設の完備した保養園へ入園させてやり度い。それは我が子が幸福を得る最善唯一の道でもあり、

それが親の慈悲でもあろう。我と我が心に言い聞かせ、そう決心はしたものの祖母にとっては只一人の孫。不憫が先だって手放す気にもなれず、心の整理に苦しむ様子で、黙して語らず気まずい空気が親子の間を流れる。祖母の反対を押し切って保養園へ送り、果たしてその結果が…ここまで思い至ると、私の決意はにぶり勝になる。

 

思い切って手続きしてしまう事だ。私は目をつぶって保健所の門をくぐった。

これで母と子の別れが決定するのかと思うと、さすがに胸が痛む。

手続きをすませた安堵に似た気持とが交差する。保養園では一年生は彼一人。それを思うと再び鼓動が高なる。

 

 その頃、子どもは割合元気で、赤いさくらの名札を胸に、上級生に手を引かれて広路小学校へ通い始めた。夜になると私の机の側に床をのべ、私のスカートの端をしっかりと握りしめたり、私の枕をだいたりして、未だ見ぬ武豊の夢を描きながら、あどけなく眠る我が子の顔の上に、はらはらと涙する宵が幾夜も続いた。どうぞ一日も早く目的を達成して健康になり、再びこうして我が子の寝顔をのぞける日が訪れる様に……やわらかい小さな手を、そっと握りしめてやりながら、そう祈らずには居られなかった。

 

 あれからもう三ヶ月たった。ママの愛情を一人占めしてきたあんな甘えっこが、元気で保養園生活を送って呉れている。

それが今の私にとって一番の喜びである。

 

 それにつけても保養園の職員の方々が醸し出される雰囲気は素晴らしいものだと、全く感服すると共に、そのご努力に対して深い感謝の念を禁じ得ないのである。

 

 人は言う「あんたはやっぱりきつい、私ら子供を手放す事はようせん」私は「やっぱりきつい」かも知れない。併し、母親として子を思う情に変わりはない。四つ切版に延ばした我が子の写真を机上に飾って、

我が子と視線が合う度に、わけもなく涙が頬をぬらす平凡な女ではある。

 人からとかくの評を受けて苦笑いする私の心の中では、只一人のしかも未だ年端もいかぬ我が子を、

保養園へ送ったことを誇らしくさえ思っている。

それ丈に完全な健康体になって呉れる日を、一日千秋の思いで待ちわびているのである。

 

(文集)『たけとよ』二号から(昭三一)

 


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