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永田文夫氏の訳詞論評史上に残る抱腹絶倒エッセイ

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31年もの歴史を誇る「永田文夫シャンソン研究所」は、故・永田文夫氏が設立。

現在は不肖・私が第2代所長を拝命。

数えきれないレコード、テープ、CD、VTRそして書籍等の資料の中に、

後世に残る訳詞、論評を発見。ここに転載。

 

…………………………………永田文夫のシャンソン・エッセイ…………………………………………

                   シャンソンあれこれーと~『再会』

 

「あら、こんにちわ、久しぶりね。」…突然声をかけられた。見覚えのある顔。

                       だが名前が浮かばない。近頃どうも物忘れがひどくなった。

「その後お変わりなくて?」~ええ…まあ…何とか…。(こんな場合の常套句。)

「あらからどれくらいかしら?」~そう、もうずいぶんになるね。(日本語はファジーで便利。)

「あなたは元気そうね。」~そうでもないよ。君と別れてから…。(と言うのが礼儀。かりそめにも、

                                     元気だよ。君と別れたから…などと言わないこと。)

「私は変わったでしょう?」~いいや、ちっとも変わらないよ。

                  (と言いながら、変わる前の彼女をイメージ。)

「あれから旅をしたわ。」~それは良かったね。スポンサーが見つかって…。

                  (と言いながら、ちょっと妬いてる自分を発見。)

「いろんな国を見て来たの。」~僕だって行ったよ。パリやブエノスアイレスへ…。自前でね。

                    (と張り合う。)

「少しは大人になったわ。」~少しどころか…。(なり過ぎちゃった。)

「私っておしゃべりね。」~そんなにしゃべっちゃいないよ。(まだ1番の途中だからね。)

「ひきとめてごめんなさい。」(と言いながら、2番までひきとめる。)

「あんまり懐かしくて声をかけたのよ。」(懐かしくてじゃないでしょ?偶然知人に会ったなら、声をかける

                          のがあたり前。知らん顔ですれ違うのは腹に一物ある証拠。)

ここまではまずまずだが、あとの2番がまずかった。

「あの方、奥さんでしょ?」(オイオイ、知ってて声をかけたのかい?嫌な奴!)

「とても素敵な方ね。」(初対面でなぜ分かる?歯が浮くよ。)

「私に少し似ているわ。」(似ていないから結婚したのさ。)

「私をどう思うかしら?」(良く思わないことだけは確か。)

「今の私たちは、他人どうしなのね。」(今始まったことじゃない。)

「あなたの目には、もう何も残っていないわ。」(今僕の目の前に、立ちはだかっているくせに。)

「私っておしゃべりね。」(分かってるならしゃべらないで。)

「ひきとめてごめんなさい。」(あやまるのならひきとめないで。)

「あんまり懐かしくてお話したかったの。」(こっちのことも考えて。ホラ、そろそろ家内が角を出す。)

「今でもあなたを愛しているのよ。」(こんなところで言わないで。あとで彼女に、どう言い訳すりゃ

                       いいの?)

 

…というわけで、いささか後味の悪い『再会』だった。

今さら注釈するまでもないが、鉤括弧の「    」の中は、日本で最もよく歌われる『再会』のセリフ。

そして丸括弧(   )の中は、オフ・レコの部分。

 夫婦づれの男に、昔の彼女が声をかける…というような、気のきかない歌を、本当にフランス人が

書いたのだろうか?不思議に思って、原曲を聞き直す。

 『再会』という邦題でうたわれているシャンソンの原題は、「私は決してあなたを忘れることが出来ない

でしょう」(Je n'pourrai jamais t'oublier )。作詩はパトリシア・カルリ、作曲はエミール・ディミトロフ、1968年の作品である。

カルリはイタリア系、ディミトロフはブルガリア系。ふたりとも、歌手としても活躍している。これをうたって成功を収めたのはニコレッタ。その録音は『過ぎさりし恋』という平凡な題で、1971年に日本でリリースされた。

 

 まずは原詩を逐語訳してみよう。

 「あら、こんにちわ。ごきげんいかが?ねえ、今でも私のことを、覚えていらっしゃる?私はしょっちゅうあなたのことを考えるわ。でも、それはともかく、お元気?本当にあなたは、余り変わっちゃいないわね。ご存じのとおり、私はずいぶん旅をしたわ。そうよ、実際にいろんな国を見て来たの。で、あなたはどう暮らしていらっしゃるの?

私っておしゃべりね。あなたは急いでいるんでしょ。あなたの邪魔はしたくないけど、私がこんなにおしゃべりするのは、あなたに過去を思い出してほしいからなのよ。」

 「彼女が少し私に似てるって、本当?彼女も青い眼をしてるそうね。あなた、確かに今のほうが幸せなの?私はあなたを愛してるわ。今だって大好きよ。これが人生っていうものなのね。何もかも、やり直しがきかないわ。今の私たちは他人どうしなのね。あなたの目を見ればよくわかるの。私たちの恋は、もう何も残っていないということが…、あなたは遠い人ということが…。私っておしゃべりね。分かってるわ、あなたは急いでるのね。これ以上にあなたを引きとめたくないから、もうひと言だけで立ち去るわ。そのひと言は…私は決してあなたを忘れることが出来ない…。」

 なるほど、これならスジが通っている。この歌のヒロインは、愛しながら別れた彼を、偶然見かけて声をかける。察するところ、彼女の長い旅行が破局の原因ではあるまいか。歌手ならさしずめ巡業か?「ご存じのとおり」と言っているところをみると、多分彼も了解ずみだったのだろう。だが男は待ちきれずに、別の女を作ってしまった。よくある話である。さりげない会話を交わしながら、彼女は彼の近況を聞き出し、昔を思い出してもらおうとする。

…というのが1番。

 

 2番では、彼女は最も気がかりな、彼の新しい恋人のことをたずねる。その人が少しでも自分に似ている…それがせめてもの自負であり、悲しい願望でもあるのだ。そして「あなたは今のほうが幸せなの?」と、思わず本音をもらし、「今でもあなたを愛している」とくりかえす。だが、彼の目の中に、冷たい現実を見た彼女は、我に帰って恋の終わりを悟り、「決してあなたを忘れない。」という言葉を残して去ってゆく。

 さすがはエスプリゆたかなフランス女性。なかなかいい女ではないか(と思われる)。

 これに反して、当初の『再会』に登場する女性の野暮ったいこと。ニコレッタのレコードについている歌詩の対訳を、適宜そのまま借用して、うまくはめこんではあるものの、微妙なところが違ってる。例えば1番。「あれから旅をしたわ。」と、彼女が彼と別れてから旅行に出たようになっているのは、多分対訳に「ご存じのとおり」(原詩はtu sais)という訳語が抜けていた(省略されていた)ので、そう解釈したのだろう。それならば、彼への思いを断ち切るための旅だったのではあるまいか。そして彼女「私は変わったでしょう?」と自慢出来るほど、「少しは大人に」なって帰って来る。そんな彼女が「あんまり懐かしくて」声をかけ、綿々と彼をひきとめたあげく、最後に未練たらしく「今でもあなたを愛しているのよ。」と告白したのでは、元の木阿弥になってしまう。

 さらに2番が問題。なんと、彼は女連れだったという設定なのだ。知っていたなら嫌みだし、知らずに声をかけたのなら鈍感そのもの。しかも、「あの方、奥さんでしょ?」と確かめておいて、「私に少し似ているわ。」などと、図々しくのたまうのである。こんな場合は、「アラ、失礼」とか何とか言って、さっさと立ち去るのがエチケットというもの。それなのに彼女はまだしゃべりつづける。「あなたの目には、もう何も残っていないわ。」というのは、レコード添付の対訳を一行だけ引き写したために、わかりにくくなった。次の行へまたがって、「私たちの恋はもう何も残っていない」が原詩の正しい訳である。そのあとの「私っておしゃべりね。」以下のくりかえしは全くの蛇足。困惑しきった彼の顔が、目に浮かんで来るようだ。

 こうして、原詩の魅力的な女性が、一般日本語詞の『再会』では、センスの悪い馬鹿な女に豹変した。ところが不思議なことに、日本の女性はこういったタイプがお好きらしく、多くの歌手がレパートリーにしている。録音は、この訳詩を創唱したという宇野ゆう子、ほとんど語って成功を収めた金子由香利をはじめ、瀬間千恵、嵯峨美子、朝風加世、清水康子、堀公子ほか。みんな得々として、「あの方、奥さんでしょ?私に少し似ているわ。…」とやっている。いい加減に勘弁してよ…と言いたくなるが、せめてお願い。声をかけるのは、ひとりで居る時にしていただきたい。そして願わくば「久しぶりね。」の前後に、名前を名乗るか、ヒントを与えていただきたい。何しろ、近頃どうも物忘れがひどくなって…。

 

 (補足)ここでの稿を終わろうとしたら、もうひとつ、美輪明宏の訳詩があるのを発見した(手元のCDは、有光雅子の歌唱)。このヒロインは、外国旅行などしていない。どうやら彼女のほうにも新しい恋人が出来たらしく、「私ならとても幸せよ。今ではあの人が心の支えなの。」…と余裕を見せ、「それよりあなたとあの人とは、うまくいっているの?」…と、相手のことを思いやる。そしてさようならを告げたあと、「本当は今でもあなただけを愛している。」という言葉(多分独自)でしめくくる…という構成。原詩からは、かなり離れてしまったが、これならさほど矛盾はなく、少なくとも当初のよりは、いい女に違いない。

 

永田文夫


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