「ブエノスアイレス・タンゴ市民証」を受証した「タンゴ・デ・ラ・エスペランサ」
と「日仏文化交流功労者賞」を受賞した「シャンソンの妖精」ですが、
いち早くその存在に注目したのは名古屋市民会館でした。
紅白歌手として絶頂期の菅原洋一と地元アマチュア・タンゴ楽団
「タンゴ・デ・ラ・エスペランサ」との共演(当時はあり得ない企画と言われました)、
更に美輪明宏と地元名古屋のシャンソン歌手たちとの共演(これも前代未聞)等を
「名古屋市民会館自主企画」として開催。
特筆すべきは、
市民会館職員が音楽・照明・舞台のプラン段階から
共同作業されたこと。
大道具の経費を抑える為、昼食時に女性職員総出で
白とピンクのティッシュ・ペーパーを折って、バラの花のデコレーション
としてホリゾント前に吊って下さったのには感激したことを覚えています。
(その時の一人は、今、名古屋能楽堂の館長)
名フィル演奏会のホームグラウンドとしてクラシック音楽発信基地の機能を果たしたり、
ジャズのカウント・ベイシー楽団日本公演等、
日本有数の業績を上げた名古屋市民会館の輝かしい歴史を
地元の皆さんにもぜひ再認識して欲しいです。
かつての市民局長から「名古屋市民会館が育てたものは、
名フィルと軽音楽の集いmss(今のエルムを作った団体)だ」
との言葉をかけてもらったことを、今でも覚えています。