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Channel: 加藤修滋のブログ
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日本文化を知り尽くすジャクリーヌ・ダノ

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永田文夫シャンソン研究所は、故・永田文夫初代所長逝去に伴い、

不肖、私が所長を受け継ぎました。

永田先生の遺志を継承し、更に推進すべく、教材DVDを会員以外の

歌手の方々にも提供するようにしたところ、大きな反響有。

 

特にジャクリーヌ・ダノの歌う「そして今は」の最後

“Rien”をピアニッシモで歌う所が目からウロコとの声、頻り。

 

ベコーと親しい友人であったダノは、ベコー本人より早く

この歌をアメリカで歌い、英語で流行する契機を作りました。

ベコー自身「そして今は」はダノの歌が一番だと言った程。

 

シャルル・デュモンの「モン・デュー」も、85才の時

最後の“Encore”をピアニッシモで録音したのは、

「あの偉大なエディット・ピアフがフォルテで歌ったので、

 自分もそうせざるを得なかったけれど、本当は心の中で祈る歌」

という強い思いから。

 

フランス人の様々な考え方、歌い方を余りにも我々は知らな過ぎると思った次第。

 

一方、ジャクリーヌ・ダノは「私は仙台の伊達政宗の生まれ変わり」と言って

墓参りしたり、エルムで「そして今は」を歌った時の照明(暗闇から、じわり、

じわりとフェード・イン)を「暗黒舞踏スタイル」と評し、周囲を驚かせました。

 

土方巽、麿赤児等の舞台パフォーミングは、フランスでは「BUTO」という外来語として

「JUDO」同様、定着していることは知っていましたが、

歌手であるジャクリーヌ・ダノがそれまで知っているとは!

それなのに来日の度に各地の公演で司会者がたずねる

「テンプラは?おスシは好きですか?」という質問にウンザリ。

「私は歌手で役者で、コックじゃないのに。何故、歌や舞台のことを質問してくれないの?」

と言っていました。


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