母は、私の事が新聞に掲載されるのを喜んでいました。
後にそれは間違いだったと判明。
離婚後、再婚した父に
私の消息を知らせる手段でした。
中日新聞の記者で最初に親しくさせていただいたのは
馬渕さんと言う方で、きっかけは私の作品でした。
四日市労音が公害告発をテーマに森山良子さんを起用して全国展開を目指したもの。
ところがフォークソングの女王から歌謡曲路線への転向を図ろうとしたレコード会社と事務所の意向で、結果的に馬渕さんの記事は特ダネから一転して誤報に。
でもその後も私の活動にいつも温かいまなざしを向けて下さいました。
特ダネと言えば「加藤ハツ館長を偲ぶ会」について
プレスリリースを出すと即座に記事を書かれた記者は、
母が生前最後にお話をさせていただいた方でした。
日頃のこまめな取材の賜物にちがいありません。
ジャクリーヌ・ダノはじめ、多くのシャンソン大使は
中日新聞社長を表敬訪問しました。
歴代シャンソン大使が表敬訪問するのは当時の神田知事と中日新聞社。
こうして官民含めての国際交流がなされて来ました。
中日新聞は身近である故、この地域の民意形成に貢献を続けています。