うろ覚えですが、当初市政記者クラブにも入れず、苦労して報道ネタをドブ板同様に探しておられたように記憶している読売新聞は、私たちに対しても芸能関係でなく社会部的な取材・報道をして下さいました。
そうした過去があるからでしょうか、ニュースと直接関係なさそうなことでもおたずねがあり、ある記者は「エルムはネタの宝庫」と。
児童相談所勤務時に、読売新聞記者の方から電話。
「あなたのお父様が余命わずかなのですがお会いになりますか?」
母は「記事にしなくて良ければ・・・」と答えて、私を伴って出かけました。
母は、ベッドサイドまで行きましたが、
私は入口のドアに立っていて、顔は見ていません。
その次に会った(?)のは葬儀の時でした。
かつて美輪明宏さんと共に書く新聞社周りをした時、
最初の社で「あの記者は取材ノートも持たずに、チラシの余白にメモしただけ」
との言葉。
私は、この先どうなるか不安でした。
と言うのも、いつものベテランの方から事前に「どうしても私はその日都合がつかないけれど若い有望な新人が対応させていただく」と知らされていたからです。
予定時間をオーバーして社を出るなり、
「あの記者は見込みがあります」
とのお言葉。それが安住恭子さん。
美輪さんがおっしゃった通り、安住さんはその後演劇分野で大活躍。
北村想を全国にし、KSEC名古屋、スーパー一座・・・名古屋から全国発信を続けられました。
演劇だけでなく映画のミニ・シアターでも。
後には、中日新聞でも劇評を書かれました。私にとっては一番永くお付き合いさせていただいた記者。それにしても美輪さんの慧眼は神からの授かりものなのでしょうか。