最も多く来日したシャンソン大使ジャクリーヌ・ダノは、各地でのエピソードもたくさん残しました。
初来日で「赤帽」を見て
「私より年配の人に頼めない」といって
自分で重いスーツケースを引っ張って移動。
高熱を出した東京では、休演することを拒否。
ステージに立ちました。
「日本では音響・照明スタッフの個人名を紹介しない。リスペクトが足りない」との指摘に対し、私が「各々チームで動いているので」と返答すると、それ以上は黙りましたが・・・。
名古屋市民会館では、課長がトンカチで地ガスリを敷くのを見て、パリの劇場で「名古屋を見習え」と言ったそうです。
日本各地で共演する歌手たちを「オペラ歌手?」と疑問視。
即座に「演劇学校出身者はいないのね」と見破り
「パリではフランセスカ・ソルヴィル以外に声楽出身者はいない」と言い・・・。
(演劇学校や劇団出身者ばかり)
パリのル・コネっターブルと名古屋のカフェ・コンセール・エルムが姉妹提携したのを歓び”本当の文化交流”と賞賛しました。そして彼女の予言通り、フランスのアーティストと私たちとの親密な関係が結ばれました。