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Channel: 加藤修滋のブログ
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隔離について想う

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高齢者施設でコロナ対策から、

家族の面会も禁じられる動きが加速。

 

認知症やうつを軽減するためには、

人との会話、感情の共有が何より大切であると言われて来たことが、

コロナ禍で正反対の対応をせざるを得ないのが実状。

 

程々な隔離政策は「とりあえず」不可欠な対応でも、

その後について語るメディアが余りにも少ないのが不安。

 

台湾はじめ中国・韓国などのネットを使っての行動把握が

感染対策に有効であることは社会実験の成果。

 

でも、その使用方法についての考察は、

まだ一向になされていない気がします。

 

それは、専門家に任せるしか方法がありませんが、

人と人の心を結ぶ音楽に携わる私たちにとって

この緊急事態ゆえに耐え忍んでいる人との接触を避ける行動が

この先、どんな社会現象となって行くのかは、考えるべきことだと思います。

 

身体的隔離が精神的隔離とならないように・・・・・

 


メディアの力を再認識

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私たちの活動は、音楽仲間の情熱とその支援者の皆様だけでなく、

地元発の文化に光を当ててくださるメディアの力で、支えられてきました。

 

史上最年少のシャンソン・コンクール・グランプリ受賞者・柴田白梅の快挙を

読売新聞が、いち早く報じ、彼女がフランスのシャトーで歌ったことを

朝日新聞がスクープ記事にしてくださったお陰で、

「名古屋に若いシャンソン歌手が育っている」と、

日本シャンソン界の大きな話題となりました。

 

更に、名古屋市民芸術祭主催事業に、

初めてシャンソン・コンサートが採用された今年、

「シャンソン都市=名古屋のシンボル歌手」として、

昼夜2公演両ステージ出演という栄誉を獲得したのも、

出演者選考に際し、読売・朝日2紙揃っての記事掲載による

影響力があったと思われます。

 

世界遺産登録された、中国の「京杭運河」PR曲日本語歌唱者に、

名古屋在住の浜﨑久美子が選ばれ、中日新聞によって報道されたことが

中国大使館に伝わり、文化担当書記官からの祝辞に加え、

中国大使館のHPに広報されるという幸運にも恵まれました。

 

かつて、エルム・オープンから3年たって来訪された方が、

財布からオープン時の新聞記事切り抜きを出し、

「やっと来れました」とおっしゃった時の感動と共に知った

メディアの力の大きさを、今、再認識しています。

 

「月刊なごや」(201511月号)より

 

    

 

 

コロナ対策意外な効果

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シャンソンを歌う人のマイクの距離が、理想的になりつつあります。

以前から、シャルル・アズナヴールを見習うように提言して来ました。

 

20年以上かかっても、中々正されませんでしたが、

コロナ対策かどうか、マイクを口に近づけない人を増やした感があります。

 

現在、永田文夫シャンソン研究所のレッスンでは、

マイク4本を歌手1人毎に取り替えますが

更に使用後には、マイク・ヘッドをその度毎に取り替えて、

翌日使用のためにアルコール消毒をするという念のいれようです。

 

その様子を見ているせいか、おしなべてマイクの距離と角度が急速に改善。

ところが・・・・・。

 

情報収集のため、テレビのニュースを見ていて少々不安も。

最近、各首長の報告やコメント映像を見ることがふえました。

 

マスクをしているのは良いのですが、

そのマスクにマイク・ヘッドをしっかりとくっつけて話している首長もいます。

 

マイクは口と直角ではなく90度に立てて、

かつ距離を離して使用してほしいものです。

今になって見直されるAFJCレーベルCD

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AFJC(日仏シャンソン協会)は、CD制作にも力を入れていて

インディーズながらシャンソンに特化したAFJCレーベルから

数多くのCDをリリース。

 

中でも、フランスのアーティストからの賞讃メッセージが印刷されているCD

多いことが特長!

 

岡山加代子、青山桂子、宮入公子、芹沢祥子、岩城康子、大石直美

甲斐和代、浜﨑久美子、日高摩梨・・・・・のCD

シャルル・アズナヴール、ミッシェル・フューガン、ミッシェル・グラスコ

デルフィーヌ・ヴォランジュ、ジルベール・ラファイユなどから

賞讃メッセージが印刷されたCDは、歌手たちにとって何よりの宝物。

 

今、再び注目を集めているのが、原作者たちがメッセージだけでなく

自らの声でナレーションを録音して送ってくれたものをMixして

制作したCD「シャンソン・ルネッサンス」には、

シャンソン大使を務めたヴェルムーランの新曲と共に

シャルル・デュモンやジャクリーヌ・ダノ、クロード・ポヴィオン、

デルフィーヌ・ヴォランジュ、マリー・ラザロなどの

ナレーションと日本人歌手が共演を果たした貴重な音源が収録されている。

 

フランス人アーティストとの音楽で結ばれた友情の果実と言えます。

 

経済紙・誌の意外な着眼点

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経済紙・誌は、時として一般紙・誌が取り上げない文化情報を

大きく採り上げることがあります。

 

昨年、日本経済新聞が他紙に先駆け「法定訳詞」について

大きく報じたことから、訳詞問題に関する注目が一気に高まりました。

 

この記事は、フランスのSACEM役員たちにも送ったので

日仏シャンソン協会の主張と行動についての評価が一層アップ。

 

雑誌で「法定訳詞」問題を日本で最初に報じたのは

「月刊 東海財界」という経済誌(しかも見開き2頁で!)

 

更に今月100号記念となる「月刊 東海財界」は

芹沢祥子の「シャンソン・ディプロム・ドール取得」を1頁で報じました。

 

普通に考えれば意外な着眼点ですが、日経も東海財界も

以前から文化的な報道に関しては定評があります。

 

朝日新聞の「アプローズ」が280ヶ月越え

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今から24年前、夕刊をとらない家庭が増え

新聞のセット陥れが取り沙汰された時、

朝日新聞が夕刊で「アプローズ」を毎月1回連載。

 

朝刊をとらないのに夕刊だけとるという

「逆セット陥れ」が話題となりました。

 

以来、今年の1月で280ヵ月続き、今もなお・・・・・

シャンソン・ファンが最も知りたい地域のシャンソン情報を

得る手段として不可欠な存在となっています。

単なるコンサート告知ではなく、歌手や楽曲に関する由来も

記事風に書かれているのが好評の理由。

比較的愛好者年齢が高いシャンソンは、ネットで調べることが

できない人もいるので、この記録はまだまだ続きそう。

 

シャルル・アズナヴール80歳の誕生日を祝う歌

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シャルル・アズナヴール80歳を祝って

「パレ・デ・コングレ」で開かれたコンサートに於いて

リーヌ・ルノーがアズナヴールのために歌った

「帰り来ぬ青春」の替え歌「522日のシャルルを讃えて」。

 

 

日本では、青山桂子がCD「ジュテーム」に収録。

「フランス人は、数の勘定が・・・・・」と

フランス語を揶揄した政治家へのアンチテーゼ曲として広まったもの。

 

青山桂子の、このCD収録曲の中ではタイトル曲である「ジュテーム」が

特に注目される歌唱。

そもそもこの「ジュテーム」は女性が女性に対する愛を歌ったもの。

一聴の価値あり。

 

デジャゼ劇場コンサートの想い出

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初来日が人生最後のコンサートとなったモーリス・ファノンとは

音楽による友情が結ばれ、彼の「ル・コネッターブル」と

私たちの「カフェ・コンセール・エルム」は姉妹提携を結びました。

 

    

 

そのモーリス・ファノン追悼のコンサートの呼びかけ人を

私がしたことで追悼コンサートの度に招かれて歌って来ました。

 

中でも印象的だったのが、199452日デジャゼ劇場で行われた大がかりなコンサート。

何しろ引退していた、カトリーヌ・ソヴァージュが4曲も歌ったことが話題に!

 

 

出演者36名中8名がディスク大賞受賞者。

日本で言えばさしづめ美空ひばりの追悼公演に、

レコード大賞受賞者8名を含む36名が集まって歌ったようなもの。

 

Ⅰ部は、

ジョルジュ・シュロン(1966年ディスク大賞、ムスタキと並ぶフォーク路線の代表者)、

イザベル・オーブレ(1987ACCディスク大賞)、

在仏の福田ワサブローなどが歌った後、

Ⅰ部のトリが私(ファノン追悼歌を世界で最初に作ったという紹介)

 

Ⅱ部は、

シモーヌ・ラングロワ(1958ACCディスク大賞)、

マルク・オジュレ(1962ACCディスク大賞)、

フランセスカ・ソルヴィル(1992ACCディスク大賞)、

コラ・ヴォケールがⅡ部のトリ、

ジャン・マリー・ヴィヴィエ(1955ACCディスク大賞)が大トリ

 

こうしたビッグ・スターが全員ボランティアで参加してくれたことは、

私にとって何よりの想い出です。

 

 


JASRAC登録シャンソン訳詞数

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以前から調べたいと思っていた「法定訳詞シャンソン」の数。

 

1992年発行、日本シャンソン大名鑑に載っている日本語で唄われる

シャンソン600曲(実際は614曲)について

JASRAC検索を使って調査。

 

 

その中で、JASRACに登録されている訳詞者の数は84名あるものの

1曲しか登録されていない訳詞者が殆ど。5曲以上となるとわずか11名。

 

1988年以後、新しく登録されたシャンソン訳詞は23曲しかなく

現在の登録訳詞の数では、

岩谷時子、音羽たかし、あらかはひろし、加藤修滋以外は

10作品以下の訳詞家ばかり。

 

いかに原作者から許諾を得て登録することが難しいかがよくわかります。

 

この30年程の間に「法定訳詞」となったシャンソンは共通点があります。

日本語歌唱音源を原作者が聴いて、その歌唱法を気に入ってくれた楽曲ばかり

であるという点。

 

1980年代までは、原詞と日本語詞の内容が乖離していないかというチェックのみでした。

今は、音源提出を求められるケースが増えているという事は

“原曲の持つニュアンスを大切に歌える歌手の歌唱音源”が

必要とされているという事。

 

この先の指針が示唆されていると思います。

”座して死を待つ”のでなく、エルム・エピソード記録抄

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コロナ禍倒産第1号は愛知県の老舗旅館。

公式手続をとらずに店をたたまざるを得なかった所を含めると

その数300超えとか。

 

シャンソン系のライブハウス(フランス語の本来の意味とはちがうけれど

一般に「シャンソニエ」と呼称)も次々と姿を消しています。

我々の「カフェ・コンセール・エルム」もこのままでは座に死を待つのみ…

 

飲食店とちがい「テイクアウト」に活路を求められず

(いわば、昔で言えば「河原乞会」の集合体。今ならフリーターの巣窟なので)

いつ、我が身…?

 

その前に、人知れずひっそりと、しかし山積みしているエピソード

(と言えば上品だけど、早い話が裏話し)を書き連ねることに…。

 

 

まずは、【その1 エルム第1黄金期と美人客】

 

  

 

 

エルムが始まって少したった頃、客席に美人の外国人が目立ち始めました。

その殆どが、いわゆるフィリピ―ナでパブやスナックで働く女性。

 

私が"元ケースワーカー"であったことの縁で、

とあるフィリピン人ホステス殺人事件被告の母親が裁判で来日する度、

精神的ケアに携わった事が、その仲間たちの間で知れ渡り、

彼女たちの中で心を病む人のカウンセリングをボランティアで開始。

 

すると、彼女たちが同伴出勤前に、お客様とエルムへ来る人が続々。

当時のフィリピン・パブの客層は今とちがい、音楽好きな人も?

 

お客様にしてみれば高いレストランで食事をして同伴出勤するよりも、

エルムなら2人で1万円以下というのが魅力だったとか…。

 

そのうちに多国籍の(東欧や中南米、時にはロシアン・パブからも)ホステスさんも。

ただし、皆1ステージが終わると、自分の店へ出勤するのでエルムの客の回転数上昇。

 

エルムのお客さんも、ステージではなく客席の美人観察?をする為に来店?

この時のホステスさんが後に劇場コンサート(岡山加代子ハートフル・シャンソン・リサイタル’01)の折にモデルや歌手として無料出演してくれたというのが裏話しです!

 

 

エルム・エピソード記録抄 ~その2~

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前回のエルム・エピソード記録抄で触れたフィリピン・パブのママ、

カルロータ・デ・ラ・クルス(本名)はモデルでダンサー。

 

 

エルムでは店の女の子と共にハワイアン・ダンスを踊ってくれていました。

 

その彼女が私の友人のアクセサリー・デザイナー、

ジョン・シドニー・キャロンが作るアクセサリーのモデルを引き受けてくれました。

 

 

 

撮影は、ジュディ―・オングの写真も撮っていた名フォトグラファー

(後にシャンソンCDジャケットの作品で名を挙げた)伊藤一仁氏。

 

 

J.C.キャロンは、破天荒なアーティスト(という人もいれば単なる酒好きという人も)で彼の作るネックレス(鎖の輪の中を通すタイプ)のデザインを某有名ブランドが買ったと、パリでは評判。

 

上半身裸で手ブラの写真は、後にJ.C.キャロン・ブランドのCMに使われ、

ちょっとした話題に…。

 

  

 

モデルのカルロータも母国フィリピンへ里帰りすると、

日本で成功した女性幾人かの中にかぞえられていたとか。

 

撮影終了間際に、

まだたくさんのすばらしいデザインのアクセサリーがあるのを見つけたカルロータが、

「お店に出勤するまで、あまり時間がないから、

これ全部一度に私の体の上に並べて撮ったら?」との提案。

さっそく最後の1枚を無事に撮り終えました。

 

彼女が当時海外で流行していた日本の(少々エロティックな宴会風習)

「女体盛り」という言葉を知っていたのは、随分後のこと。

 

 

ちなみに、カルロータのモデルによる

J.C.キャロンのアクセサリー・ポスターはフランスでも好評でしたが、

さすがにパリ市役所主催の日仏友好コンサート・パンフレットには、

掲載禁止となりました(誰も知らない裏話!)

 

エルム・エピソード記録抄 ~その3~

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私の母・加藤ハツ館長

(シャルル・アズナヴールは“日本のシャンソンの母”と呼びました)が,

 

亡くなった年にパリへ行った時

「ジョン・シドニー・キャロン」の新しいお店に行きました。

 

その時の感動的なシーンは私の人生の忘れ得ぬ1頁です。

 

当時の「月刊なごや」に拙文を載せましたので、ここに再掲します。

 

 

テレビのコメンテーター言葉の違和感

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コロナ禍でコメンテーターや医療関係者、

更には政治家などのテレビ出演が激増。

 

司会者の質問に答える前に「そうですね」

という言葉で話し始める人ばかり。

 

MCのプロではないから?と思っていると

意外とこの接頭語「そうですね」は蔓延しています。

 

 

 

もうひとつ、

MCが「ありがとうございました」とい言った後、

コメンテーターも重ねて「ありがとうございました」も違和感あり。

 

答えるなら「どういたしまして」又は何も言わずに笑顔・・・・・のはず。

 

 

 

更には、もうひとつ。

画面に向かって深々と頭を下げる年配の出演者の頭頂部が

画面いっぱいに広がって衝撃!

 

 

スタジオでテレビカメラが撮影する映像ならばよくても、

リモート画面では、いささか・・・・・。

 

加えて、リモート出演に慣れたコメンテーターや専門家は

手の動きを左右にし始めました。

前後に動かされると、圧迫感を与えることを知っているのでしょう。

シャルル・アズナヴールとマルセル・アモン

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シャルル・アズナヴール追悼コンサートに

マルセル・アモンが贈ってくれたメッセージに意外な事実!

 

 

その前に、マルセルと私がシャルルと会った時と

その後の境遇がよく似ていることに驚きました。

 

マルセルを世に出したのがシャルル、

そしてフランスで私が訳詞家として認められる契機もシャルル。

 

何より感激したのはシャルルが「友情」をとても大切にしたこと。

 

シャルルはアルゼンチン公演の後、

バカンスを経て来日公演だった予定を急遽変更。

 

なぜなら、友人であるマルセルが90歳で

人生最後になるであろうCDレコーディングをすると知ったから。

 

 

思い出の曲を2人でデュエットするために、

パリへ戻ってレコーディング。

(このCDでのレコーディングがシャルル最後の録音となりました)

 

そして急いで来日し、東京・大阪で公演。

ブエノスからパリへ、そしてレコーディングしてすぐ日本へ・・・・・。

 

この強行スケジュールは、

骨折が治りきっていない94歳の老人にとって

いかに大きな身体的負担だったことか・・・・・。

 

それでも自分の身体より「友情」を大切にしたシャルル。

そして、骨折で5月の日本公演を延期したことを悔やみ、

来日を果たした彼が、私に「約束通りに歌いに来たよ」と言った

その言葉の意味と重みがマルセルのメッセージで、はじめて解りました。

 

新型コロナは、心も蝕む

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新型コロナから声明を守るための程々の方策がとられ、

ようやく生活を守る方策が始まったばかり。

 

コロナ終息後の観光・消費の予算手立てもなされて・・・・・。

ところが、見落とされているものが

コロナ禍で心も蝕まれている人のケアについて、

国は無策であるということ。

 

今まで、文化・芸術が担ってきた役割の中に、

人の心が安らげる場所の提供がありました。

 

これだけ長く、そうした場が奪われ、

対話によって救われてきた人たちも

必死にすがろうと対話を求めても

そのニーズに応えられない状況に・・・・・。

 

感染者が減少した頃に、

新たな問題として浮上してくると思われる「心の病」。

 

今回の新型コロナと正反対の、

極めてゆるやかに蝕まれていく人の心のケアに一番の薬は、

人と人とが精神的に「密接」に寄り添うこと。

 

意外と知られていないのが「がんばろう」と言う言葉に

傷つく症状を内在する人の多さ。

コロナ禍以前、「がんばらなくてもいいんだよ」という言葉に

救われた人たちが急増した時期のことを忘れないようにしたい。

 

でも、手を握りしめるだけで、

救われる人たちがいた事例を今、語ることがはばかれる現実がつらい。


中日新聞、5月3日付社説の正論

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「言葉を非常ということに借りて(緊急事態の)道を残しておくと

どんな精紋な憲法を定めても、口実をそこに入れて、

また破壊される恐れが絶無とは信じがたい」

 

これは1946年、帝国議会に於ける憲法担当大臣・金森徳次郎の答弁だと

53日、中日新聞社説で知りました。

 

 

この日の社説は、説得力がありますが、

何よりこの答弁の存在を知ることができて幸せでした。

 

過去、日本の政治家にも、

こういう正論を堂々と発することのできる人がいたことも知れました。

 

最後に「74年前の金森の金言を忘れてはなりません」

という結びに執筆者の矜持と力を感じた次第。

 

 

空気感なきライブ配信への抵抗

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生命を守るためのコロナ感染防止策として、ライブハウスや

個人の歌手・演奏者が取り組んでいるライブ配信。

 

ずっと病床で考え続けたことは、それ以外に方策はないのか?

瞬間の芸術としての音楽には、ステージと客席とが交しあうものが不可欠。

 

言葉を交わさずとも同じ空間にいて、

同じ空気感の中で感情を共有する喜び・・・・・それは、

演者も観客も同じ息づかいをする中で生まれるもの。

 

考えあぐねた末、試行することにしたのが対話型ライブ

「シャンソンの応接室」と名付けたこの新企画は、

40坪(建坪)の空間に観客2人と私の3人だけで行う、

雑談を交えた弾き語りライブ。

 

苦肉の策ではあっても、歌を届ける例と受け止める例の垣根を

取り外した型を模索しようと思います。

「不要不急?」私たちの活動は「必要!大至急!」

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「医療」と「経済」の両立という用語が氾濫しています。

 

日本では政治家だけでなく、メディアでも使用されることが

フランスやドイツと比較し極度に少ない「文化」という言葉。

 

このところ「不要不急」がやたら紙面に踊り、音声が響いている。

自分たちがして来たことを振り返ると

「エルム」の31年間は「不要不急な娯楽」ではなく、

シャンソンの中でもエッセンシャル・ワーカーとも言うべき

働きでもありました。

 

コロナ禍で「社会的距離」をとらざるを得なくなっている人の

「心理的距離」を密接にする活動。

 

「コロナウイルス」も目に見えないけれど、

「人の心を蝕むもの」も目に見えないことを忘れてはいけないと思います。

 

心を支えるものはたくさんあります。

単なる「癒し」はもちろんですが、

音楽に限らず「文化」が担って来たものの役割を今一度見直し、

今の時代、何をどうすべきかを考え込む毎日です。

「役者殺すにゃ刃物は要らぬ・・・・・」実感

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昔から「役者殺すにゃ刃物は要らぬ。舞台が3日無けりゃいい」

と言いますが、歌手も同じ・・・・・と常々言って来ました。

 

テレビ朝日「報道ステーション」徳永有美アナウンサーを

「まばたきが少なく、上の歯を見せない」と

フジテレビ三田友梨佳アナウンサーはじめ

幾人かのアナ・コメンテーターと共に○印をつけて紹介。

 

ところが、コロナ禍によりスタジオではないリモート出演を続け

ようやく本来のスタジオからのMCとなったとたん、激変。

 

言葉はカミカミ、早口、まばたきも異常に多い。

口の周りの筋肉の余分な動き、何より緊張感が伝わり

カメラの向こうにいる視聴者への呼びかけの視点が欠如。

 

まるで新人アナウンサー?

 

今まで、メイン・スタジオの業務用カメラを前に広い空気感でのMC

慣れていたのが、勝手が違った?

 

さすがに看板アナで良く3日でずい分と改善。

でも以前のようなまばたきの少なさのお手本には、もう少し時間がかかる?

 

ましてライブハウスが休みとなっているこの3ヵ月、

ステージがまったくない歌手たちが

ステージ復帰しても果たしてプロの技が息づいているか・・・・・心配です。

 

一方、共同通信の太田昌克氏は

他番組にコメンテーターとして、

少しだけ出演していた時と違い、見事な説得力ある解説。

 

「報道ステーション」でコメンテーター時間枠が充分ある中

水を得た魚のごとく、ハイレベル。

政治家は太田昌克氏の話しぶりを見習うべき!

コロナ禍の今こそ、医療従事者のメンタル・ケアが必要!

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かつて医師を核とし、

PTOT・看護師などとチームを組んで仕事をして来た経験から、

今の医療現場がとても不安です。

 

当時、私自身がとある有名な病院の

ドクターのカウンセリングを頼まれたことがありますが、

「生命の現場」で張りつめた緊張感の中での仕事を続ける人こそ

心のケアが必要となります。

 

 

 

今がその時!

 

 

 

一瞬の気のゆるみが

そうした現場でのクラスターにつながったりするだけでなく、

防護服はじめ防衛する道具が入手困難な中、

あらぬ風評被害を受ける医療従事者も多数。

最も大切なことが優先されない社会構造にはいら立ちも覚えます。

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