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Channel: 加藤修滋のブログ
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資料探しの毎日

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このところ、毎日古い新聞記事の切り抜きを探しています。

色々な事を記録してノートに残すことが苦手。

 

時々書いたメモを探そうとしても見当たらない。

そんな時、母が大切にしまっていたものの中に、過去の貴重な新聞記事を発見。

 

特に「軽音楽の集いmss」の活動を長年追いかけて記事にされた

中日新聞の阿部孝子さん(故人)と、

北村想やKSEC名古屋を熱心に報道された読売新聞の安住恭子さん(今は演劇評論家)

が書かれたものを手にして、自分の人生の転機の時のものだけに感慨にふけっていました。

 


有事の文化支援

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2次大戦中、主な国々で歌手への弾圧が相次ぎました。

ところが日本では、作家や演劇人には弾圧があっても歌手には殆どなく

逆に軍人の慰問に利用されました。

 

諸外国は古くから、政変・革命がおきると真っ先に弾圧されるのは歌手でした。

何故なら、歌手はたった3分で多くの人の感情を左右する力を持つから。

(音響装置があれば屋外で何10万人にも声を届けられます)

 

ちなみに書物は、読むのに時間がかかり演劇も何10万人が一度に・・・・・というのは無理。

為政者にとっては、歌手が最も手におえない、やっかいな存在。

 

チリの出来事は今でも語り継がれています。

政治的な作品で権力者から迫害され、虐殺されたビクトル・ハラの精神を受け継ぐ為に、後輩たちが「キラバジュン」というグループを結成。

彼の訴えたかったものを南米はもちろんヨーロッパも広めました。フランスでは、ビクトル・ハラ追悼コンサートも開かれました。日本では政治的に物申す歌手が少ないのが特徴です。

 

 

 

そして、それ以上に文化支援策の希薄な国です。

今回のコロナ禍でドイツでは一人9000ユーロ(103万~108万)をアーティストも含めフリーランスに給付するという話。

生活に最も貧しているのが誰で、そして人間が生きる上で何が大切かを見極める力を持つ政治家がこの国に登場してくれるのはいつ?

メディア文化担当へSTAY HOMEの今期待するもの

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朝日新聞夕刊の「取材考記」には、時々拍手をしたくなる記事が掲載される。

藤谷浩二特集記事「新型コロナで相次ぐ中止・延期/無念の舞台人 幸福な時間よ再び」もそんな中のひとつ。

 

結びには

「私自身も取材する立場を超えて多くの舞台に励まされてきた。

劇場に通えず思わぬ長さとなった夜。何が出来るかを考え続けている」にはこう答えたい。

 

「今こそ過去の芸術文化の歴史を振り返り、知られざる真実を発掘し、

報じていただきたい・・・・・」と。

 

例えば、渋谷の「ジァンジァン」や銀座の「銀巴里」閉店に至った理由。

名古屋で言えば、名古屋市民会館自主企画が全国に名だたる企画を連発

(菅原洋一を5年連続、美輪明宏を6年連続)しながらとりやめざるを得なかった理由‥・‥。

 

このところ、次々と目新しい芸能ニュース記事に寝るヒマもなかった記者の方々に、

STAY HOMEで探った上での考察をお願いしたいものです。

 

次の新たな創造への足掛かりなるヒントを・・・・・。

日本独自の発展を遂げたシャンソンの危機

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日本のシャンソンは、宝塚と銀巴里の存在で大きく発展。

 

銀巴里閉店後も、東京を中心に全国各都市で客席50席前後の

小さなシャンソン・ライブハウスを中心に、隆盛となりました。

 

ところが、今回の新型コロナウイルスの影響で店を閉めざるを得ない

状況が生まれ、どの店も存続が危ぶまれています。

まず何より歌手が歌う場をなくし、ピアニストたちも劇場をなくし、

お客様も聴く機会をなくし・・・・・。

 

芝居の世界では「役者殺すにゃ、刃物は要らぬ。舞台が3日なけりゃいい」

と言われますが、歌手も演奏者も同様。

 

ステージと客席が心と心を結びあってこそ生まれるシャンソンの醍醐味は、

ネット動画では味わえません。

 

すぐれた歌手や演奏者を育てるのは、感受性豊かな観客です。

 

カメラに向かって録画の為に歌い、演奏する事で、またそれを鑑賞する事で

帰結する新しい音楽のパターンは、音楽の在り方の新しい方向性かも知れません。

 

でも、本来「祈り・願い・叫び」が3大要素だと言うシャンソンについては、

やはり「同じ空間で同じ体験をすることによって共通の感情を共有する」

のでなければ。本質がかわってしまう気がします。

 

小規模なライブハウスで歌われる事の多いシャンソンが、

この先どうなるのか不安でなりません。

フランス映画「幸せはシャンソニア劇場から」テーマ曲「パリに恋して」

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私達がフランスのアーティストと交流する契機を作ったのは、

モーリス・ファノンとジャクリーヌ・ダノ。

 

  

 

そのジャクリーヌ・ダノの紹介で親しくなったのが

「サヨナラ」のヒットで知られるフランク・トマ。

 

 

彼の自宅に招かれた日の午前中、「幸せはシャンソニア劇場から」を

パリの映画館で観て大感激。

その直後にこの映画全曲の作詞を手掛けたフランク・トマと会って、また感激。

 

トマの依頼で、日本上映実現の為に奔走。

ようやく配給元が決まり日活とタイアップして、上映成功プロジェクトを企画。

テーマ曲「パリに恋して」の日本語訳詞の楽譜を、

上映成功に協力しようと言う全国のシャンソン歌手に無料配布。

 

 

封切り時には、東京と宮崎ではスクリーン前で歌手が日本語詞で歌唱。

岡山加代子がシャンソン大使ヴェロニク・ぺステルと創唱し、NHK番組でも歌唱。

https://www.youtube.com/watch?v=Bbsu7JcV7y0

ベスト盤CDのタイトルにもなっています。

 

 

名古屋巴里祭では清水美帆がミッシェル・グラスコと共演。

https://www.youtube.com/watch?v=eOn3RMpEZWo

 

    

 

フランス映画「幸せはシャンソニア劇場から」挿入歌「ときめきを私に」

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日本でもヒットした「幸せはシャンソニア劇場から」の挿入歌「ときめきを私に」は、

テーマ曲「パリに恋して」と比べると歌唱者が極度に少ない。

 

山口紀子は、数少ない歌唱者であるだけでなく貴重なCD録音者。

 

 

映画の上映成功プロジェクトで「原作者」「日活」「日仏シャンソン協会」が協力して

映画監督のクリストフ・バラティエChristophe Barratier)と

主演女優ノラアルネゼデールNora Arnezeder)揃って来日し、

さあこれから!という時に2人の恋は終わって、来日プロジェクトは腰くだけに・・・・・。

 

少々残念でしたが、結果的にフランス映画としては大ヒット。

この映画を機に「最後のマイウェイ」「ダリダ」「バルバラ」と

立て続けにシャンソンをテーマにしたフランス映画が封切られ、

ちょっとしたブームの火付け役となりました。

 

練習・練習・また練習、そして研究

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コロナ禍で家の外へ出る事のできない歌手達にとって

今が「ピンチはチャンス」の時期。

プロ歌手は、ともすれば普段は、それまでに習得したものを

切り売りするような側面のステージが多くなりがち。

 

かつて、アマチュア時代が一番歌の勉強ができたと言った人がいました。

自分の好きな音楽と向き合うだけの毎日を許されるのとは違い、

プロとなると「お客様の為に」という考えの人もいます。

 

でもアマチュアは、アマテウール(愛好者)から来ている言葉で

プロこそ本当のアマテウールであるべき。

 

家にこもっている間、今までのレパートリーを見直し、詞の意味を吟味し

作者の訴えたかったものを、どう歌唱表現するかという

研究にすべての時間を費やす意気込みで、

切り抜ける事を考えたいものです。

 

それをした人と、そうでない人とで、コロナ禍が収束した後、

再開したステージで、大きな差がつくと思います。

C.アズナヴールの作品で後世に語り継ぐべき作品:娘カティアのデュエット曲「ジュ ヴォヤージュ」

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近年の日本シャンソン界に於いて、

シャルル・アズナヴールが娘カティアの為に書いたデュエット曲

「ジュ ヴォヤージュ~旅立ちの時~」ほど、後世に語り継ぐべき楽曲はないと思われます。

 

 

愛娘とのデュエット曲なので、本来他の歌手が歌う事は想定していないのに

Café concert ELM20周年に際して、岡山加代子と私に

日本語でのデュエット録音許可というビッグ・プレゼント!

 

そして、その訳詞を「法定訳詞」として認め、

フランスのSACEMと日本のJASRACに登録。

シャルル・アズナヴールは、Café concert ELM20周年記念CD

メッセージも寄せています。

 

 

更に、シャルル・アズナヴールは、来日公演に際して、

事務所からプロモーションの為に岡山加代子と自分とのデュエットという案を提案。

残念ながら実現には至りませんでしたが、彼がいかにCafé concert ELMの存在価値を

評価しているのかの証としての裏話。

 

 


シャルル・デュモン「モンデュー」

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シャルル・デュモンの代表作「モンデュー」は、多くの日本語訳詞で歌われています。

 

カヴァー申請したものも幾つかありますが、殆どは本人に許可を得ていないものです。

残念な事にカヴァー申請だけのものや、まして無断訳詞の内容は本人は知りません。

 

シャルル・デュモンが「法定訳詞」として認めた日本語訳詞は私の訳詞で、

何人かがCD化していますが、青山桂子の1stCD「自由への旅立ち」

に収録されているものが好評です。

 

フランス・シャンソン芸術協会の創設会長であるカトリーヌ・アトラニが

「日本語で歌うシャンソンのバイブル」と絶賛した青山桂子の歌声は

多くのフランス人アーティストにも支持されています。

 

青山桂子の1st CD「自由への旅立ち」を通販サイトで購入された方には

「モンデュー」の楽譜をプレゼント!

 

 

 

コロナ禍の中で中日新聞・南拡大朗記者のエンタメモ

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421日付の中日新聞エンタメモに、南拡大朗記者が「消えた音楽」として書いていたことに拍手。

 

コロナ禍で音楽家が経済的な危機にあることと、その救済策が緊急課題であることは言うまでもありません。

でも、ウイルス感染だけでなく、人の心のあり方に対しても真剣に考えるべき事態になっていると思います。

 

コロナ離婚やDV増加にみられるように、心が荒れ、すさむ一方であることは

目に見えにくいだけで進行中です。

 

「音楽が単なる消費対象などではなく、人間が人間らしく生きる上で欠かせないものだ、

と再認識することが第一歩だと思っている」という南拡大朗記者の記事は、

そこをついています。

 

 

パリ同時多発テロの折、日仏シャンソン協会の宣言の中にも

「平和とは、戦争がないという状態ではない」とあります。

更に「政治は対立物を統一する。音楽は対立物を調和させる」と続きます。

fP、ヴィバーチェレント、長調と短調……それら対極にある要素が組みあわさって音楽が対立。

 

そして、その本質が「祈り・願い・叫び」である。

 

シャンソンに代表される歌には、国境と言葉のちがいを越えて人と人の心を結びあう魔法の力があることを伝えたいと思います。

シャルル・デュモンの名曲「夜明けのタバコ」

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シャルル・デュモンが来日公演の折、自身の作品を日本語で歌おうとして

日本語の詞を集めさせた中で選んだのが、私の日本語訳詞した「夜明けのタバコ」。

 

彼が気に入ったのは、日本語の「愛しあった後のタバコ」という表現で、

来日時にこの詞で歌唱。

 

気に入らなかったのは「愛の後のタバコ」という表現。

シャルル・デュモンによると「愛しあう」という行為の時、

心の中で別の人の事を考えている事がある。

でも「愛」というものは、心の奥にあるものなので、

「愛しあう」2人の心の中に別の人を考える事は無いというもの。

 

そして、何よりこの日本語で歌っていた宮入公子の歌唱法が

彼にとって好みであった事。

彼女の為に、自らフランス語歌詞を朗読してプレゼントしている。

 

 

 

 

クラウド・ファンディングの先駆けmss会館

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かつて名古屋に「N.L.A(ナゴヤ・ライト・ミュージック・アソシエーション)」が

シャンソン歌手、平乃たか子さんの協力で活動していました。

その後、南山大学・愛知県立大学の学生中心に「軽音楽の集いmss」が結成されました。

 

その中心的なバンドが当時、日本最高の若手タンゴ楽団と言われた

「タンゴ・デ・ラ・エスペランサ」だったのでタンゴ・ラテンを中心に、

またシャンソン歌手が多かったのでシャンソン・カンツォーネのコンサートを

毎週土曜日に開催(mss=ミュージック・サロン・オン・サタデー)。

 

自分達の活動拠点を作ろうと全国の軽音楽愛好者に募金・出資金を

呼びかけたところ、菅原洋一やグラシェラ・スサーナ等も協力し、

呼びかけして下さったお陰で1,000万円が集まりました。

 

私自身も銀行で1,000万円を借り、合計2,000万円で完成したのが、

2階建ての借金コンクリ―ト”mss会館。

 

地元の新聞はもちろん東京のテレビ局や週刊誌が

華々しい報道合戦を繰り広げ、大きな話題となりました。

 

クラウド・ファンディングなる言葉がネットに登場するようになって、

振り返ってみればこれが音楽分野でのクラウド・ファンディングの

先駆けなのでは?と思いました。

 

   

    

エルム支援のシャンソン・マスク好評

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2ヵ月以上もライブの開けない「エルム」。

歌手・演奏者の経済的苦境もさることながら、

実力低下をしない為の方策も問題。

 

“役者殺すにゃ、刃物は要らぬ。舞台が3日無けりゃいい”と

言いますが、歌手・演奏者も同じこと。

そして更に問題なのは、「シャンソンの空港」

(そこから、アーティストが大きく羽ばたいて飛び立つ所)

としても「エルム」という活動拠点が存在できるかと言うこと・・・・・。

 

そんな時、歌手たちが力をあわせて

シャンソン歌手らしいオシャレなマスクを作成・販売。

原材料を持ち寄る人、マスクを手作りする人、それを販売宣伝する人・・・・・。

 

「アベノマスク」よりは好評で、サイズもMLに加えて子供用も・・・・・。

 

ほとんど毎日「応援の為に買いたい」というメールや電話。

中には、わざわざ買いに来て下さる方も…。

 

ワンコイン(500円)という手頃な「応援価格」もさることながら

生地の柄、中にはレースのものもあって予想を上回る話題に。

 

31年もの間、エルムを支えて下さった方々の温かい心に感謝。

 

テレビを見る時の「歌唱に役立つ視点」

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テレビでニュースや情報番組で、アナウンサーやコメンテーターが

しゃべる時のチェック・ポイント!

 

例えば、

テレビ朝日の" 徳永有美アナウンサー"

テレビ東京の" 大江麻理子アナウンサー"

日本テレビの" 鈴木理香子アナウンサー"

" 林修さん" のように

しゃべる時に上の歯を見せない&まばたきが少ない方。

 

これはフランスのシャンソン歌手(特に左岸派)の歌唱に通じるもの。

何気なくテレビを観るのではなく、そうしたことも研究材料になります。。

 

もうひとつ加えるなら、

各首長が記者会見するために必ず加わるようになった

手話通訳者の表情と手・指の動き方も、音声を伴わない交流手段ゆえ

参考になることが多大。

 

 

日仏シャンソン協会<楽譜共有運動>の評価

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今では、フランスのアーティストから新譜を次々と送られて来るようになった

日仏シャンソン協会。

 

その理由は幾つもあると思われますが<楽譜共有運動>が最大のものと思われます。

 

きっかけは「ミスター・サマー・タイム」の作者、

ミッシェル・フューガンの作品「ブラボー!ムッシュ・ル・モンド」を

愛知万博グローバル・イメージソングとして広める為の楽譜無料配布。

 

 

その結果、加藤久仁彦やNAHKI、トリオ・ロス・ペペスなど多くの歌手がCD収録。

ついには「狩人」でのCDもリリースされ「狩人」再結成というムーブメントに。

そして最後には21ヶ国語に訳され、18名がCDに収録するという展開となりました。

 

   

 

    

 

この運動を評価したユニバーサル・フランスは、私に特別感謝状を与えてくれました。

その感謝状を渡してくれたのはピエール・ドラノエとミッシェル・フューガン。

   

 

次いで、フランス映画「幸せはシャンソンニア劇場から」

上映成功プロジェクトとして原作者(フランク・トマ、ライン・ハルト・ワーグナー)

と日活、日仏シャンソン協会がタッグを組み、

テーマ曲「パリに恋して」の楽譜を無料配布して映画のヒットにもつながったこと。

 

 

そして、シャルル・アズナヴール来日公演成功プロジェクトでは

「愛の響き~人生はアズナヴールの歌と共に~」の楽譜を無料配布。

 

 

日本では昔から訳詞(殆どはカヴァー申請のみの「日本語詞」が作者に無許可の「作詞」)

を限られた歌手の占有物として歌われるケースが

少なくなかったようです。

まして新しいシャンソンの楽譜を入手するのは至難の業。

レコード・CDから採譜してもらうにも、それなりの費用が・・・・・。

 

日仏シャンソン協会が楽譜をすべてのシャンソン歌手の共有財産という考え方で、

 

無料配布を続けたことから新しいシャンソンが次々と紹介されてきたことに対して、

フランス人アーティストたちからは感謝の言葉が寄せられています。

 

その結果、多くの日本語訳詞が「法的訳詞」登録されるという予想外の成果となっています。

 

今月の「プチるたん」には、日仏シャンソン協会フランス代表であり、

アコーディオン・サンテの名手であるJ.P.メナジェの新作

Dans le jardin de mon enfance(懐かしの庭で)」の楽譜を掲載。

 


「シャンソン雑談会」の内容をリーク ~その1~

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今春から始まる予定だったマツザカヤ友の会の「加藤修滋/シャンソン雑談会」は

コロナ禍で6月以降に延期。

 

そこで、その内容の一部を事前にリーク!?

まずは、<フランスで話題となった仲直り・・・・・>

 

とあることで、蜜月の関係が途切れていた「オー・シャンゼリゼ」の作詞家

ピエール・ドラノエとシンガーソングライターのミッシェル・フューガンの

ゴールデン・コンビ。

 

再び関係復活したきっかけが「ブラボー!ムッシュ・ル・モンド」が

2005年の愛知万博グローバル・イメージソングとなったこと。

 

フランスで発売されたミッシェル・フューガン楽譜集にはそのことが

誇らしげに印刷されています。

 

日仏シャンソン協会から私と岡山加代子、そして

アリアンス・フランコフォン副会長ジャクリーヌ・ダノが

加わってドラノエとフューガンが一緒に収まった写真には

SACEM(フランスの音楽著作権団体)役員もビックリ。

 

一時、途切れたビッグ・アーティスト同士の仲をとりもったのが

日本語訳詞をした加藤修滋で

「その行為を感謝する」とはユニバーサル・フランスの

会長パスカル・ネグレの言葉。

 

   

「シャンソン雑談会」の内容をリーク ~その2~

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フランスで私の名前が知られるきっかけとなったのは、

友人であったモーリス・ファノンの死を追悼するコンサート発案者として。

 

フランス中から(スイスからの参加歌手もあり)

モーリス・ファノンの友人たちが「ル・コネッターブル」に集まって

無料で歌った一大催事には、コラ・ヴォケール、ジャクリーヌ・ダノも出演。

 

でも何と言っても既に引退していたカトリーヌ・ソヴァージュ

(「パリ野郎」他のヒット曲があるビッグ・スター。「ソヴァージュ・ヘア」は彼女の由来)

が出演したこと!!

 

メディアでは「東洋の若いピアニストがカトリーヌをカムバックさせた」と紹介され

「新しい恋人か?」というジョークも。

(アンナ・プリュクナルやジリオラ・チンクエッティ、バルバラも

「奇跡のカムバック」の影には常に新恋人の存在があったので)

 

メロディーを歌わず歌詞を朗読する(フランスではよくあるパターン)

ディクションでのカムバックは2年間続きました。

 

   

ホテル・ノルマンディ

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パトリシア・カースへの楽曲提供を中心に名を馳せた

フランソワ・ベルンハイム

彼は、もともとシンガー・ソング・ライター。

 

 

作詞も作曲も才能あふれる人気アーティストであったがプロデュース能力も非凡。

 

「モン・メッカ・モア」に代表される初期のカース

(当時はミニ・スカートのへそ出しルック)のイメージ・チェンジをはかり

 

「ホテル・ノルマンディ」の頃には、キャミソール・ドレスに・・・・・。

(日本にキャミソール・ドレスを流行させた)

 

日本人シャンソン歌手初のシャンゼリゼ劇場コンサートを行った

松本幸枝の歌声を気に入ったベルンハイムは

彼女の歌う「ホテル・ノルマンディ」と「ジョジョ」を

法定訳詞として認めた。

 

CDジャケットの絵は、新象作家協会の金子滋画伯から

プレゼントされた異国情緒漂う素晴らしいもの。

 

 

 

パトリック・ブリュエル「まぼろしの恋」

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日仏シャンソン協会の活動のひとつ、

新しいシャンソンや普及していないシャンソン、そして

アーティストを日本に紹介する「シャンソン・ルネッサンス運動」。

 

その中で高い人気を誇るのがパトリック・ブリュエルララ・ファビアン

 

Café concert ELM25周年祝賀会にメッセージを贈ってくれた

パトリック・ブリュエルの歌は、

近年、多くのシャンソン歌手がレパートリーに取り入れている。

 

 

彼の作品の中でもエスニックな香りのする「まぼろしの恋」を、

自身の記念すべきデビューCDのタイトルにしてリリースしたのが芹沢祥子。

 

 

 

 

 

パトリック・ブリュエルは、そのステージ・パフォーマンス抜きで、

音だけ聞くのでは良さが伝わりにくい。

 

その点、モデル出身の芹沢祥子は、手・足の動きがなめらかで視覚的にも楽しめる。

彼女の2ndCDのタイトルになった曲「夜の通行人に捧ぐ」の作者イヴ・デュテイユは

その歌唱法を賞讃したメッセージを届けている。

歌唱法が、フランス人アーティスト好みのエレガントなものである証拠。

 

 

 

 

 

エル・ビエホ・アルマセンの想い出

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古い資料を整理していたら、貴重なビデオを発見!

 

1982年タンゴ・デ・ラ・エスペランサのアルゼンチン公演の折、

エル・ビエホ・アルマセンに出演した折

司会をしたオスカル・プリオーレ(アルゼンチンNo1のタンゴ研究家でもある)

からプレゼントされたBvenos Aires sos El Tangoというビデオ。

 

 

バッファとデ・リオのバンドネオン&ギター二重奏、オズバルト・ピーロ、

サンドラ・ルナ、ホセ・コランジェロ・オルケスタ‥‥カーニョ14

カーサ・デ・ガルデル、テレビ局カナル9などでの貴重な映像満載。

 

特にエル・ビエホ・アルマセンは、若き日の私の一番の想い出の演奏場所。

その時の客席(300人近く収容)からもらった割れんばかりの拍手は

今も忘れられない想い出。

 

何故、このビデオをプリオーレがくれたのか?

多分・・・・・この時の我々の演奏を彼が録音し(私は、そのことは知らなかった)

彼がDJを務める深夜ラジオでON AIR

その御礼(おわび?)かも‥‥・。

 

それを知ったのは翌日タクシーに乗った時に

「日本のタンゴ・バンドか?」と聞かれ

「そうだ!」と答えると、サイン帳を出して「ここにサインを!」と

言われるがままにサインをすると「光栄だ!料金はいらない。昨晩のエル・ビエホのアルマセンの演奏をプリオーレのラジオで聞いて感謝したから」

 

ちなみに10日間、ブエノス・アイレスにいる間にタクシー代が3回無料に!

パリ公演は30回のうちで1回だけタクシー代無料に!

日本では70年間の人生で、まだ1度も・・・・・。

 

音楽家へのリスペクトのちがい?

 

 

   

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