Quantcast
Channel: 加藤修滋のブログ
Viewing all 1933 articles
Browse latest View live

シャンソン三昧

$
0
0

病気の後はじめて東京で4日間を過ごし、朝から晩まで

シャンソン漬けの毎日。

 

Erinneのサロン・ド・シャンソンREDでの「シャンソン雑談会」と個人レッスン、

そして<平和希求ライブ>

シャルル・アズナヴール公演成功プロジェクトの打合せ、シャンソン・ミュージカル

「Piaf Le Spectacle」来日公演実現に向けてのプロモーション、

「永遠のバルバラ展」(昨年パリで開催)を手がけたClementine Deroudille

との面談(次回企画作品に関して)、

シャンソン・ディプロム最高位「グローリア」と指導者ディプロム「プロフェスール」 W 受証の

堀内環夫妻との祝賀面談、

その間をぬってのシャンソン・ライブ巡り。

 

有意義すぎる程、内容の濃い4日間だっただけに体力の限界。

特に眼に関しては、難病発症時に似た感じでもしや?と少々不安。

ホテルに戻ると何もできずに即熟睡。

 


「蛙たち」にて

$
0
0

「銀巴里」閉店後、その精神を受け継ごうという動きは、あちこちで活発に見られる。

過去の追憶でなく、次の世代に向けて発信をしようとする日仏シャンソン協会の

モデル・ライブ・ハウス「カフェ・コンセール・エルム」が力及ばずの展開しか出来ていない所を、

よりハイ・グレードなラインナップで連日奮闘している「蛙たち」で、懐かしい出演者と観客に逢えた。

 

エルムに出演歴のあるピアノの砂原嘉博は、

サウンドのバラエティもさることながら、曲によってノンペダルで弾く数少ない人。

「夜のメロディー」「クァンド・クァンド・クァンド」「オー・シャンゼリゼ」は

全く ノンペダルで右足は常に床の上(ペダルには全く触れない)

それゆえ、音が濁らず、キレが良い。

ヴェルムーランも全く ノンペダルだが、日本人には余り見かけない。

 

以前、岡山加代子と倉敷で共演して以来、久しぶりのあみ(ami)。

以前と比べてグレード・アップの大きさにビックリ。

無駄のない立ち姿で、左手はまっすぐ下へのばしたまま。

しかも、指先まで客の視線を意識したポーズ。

一方、曲によって動きも考えた上でのステージング。

まばたきの少なさも、歌い終えた後の口元の動きも、

以前とは格段の進化。

 

エルムにも時々出演する劉玉瑛は、今人気急上昇中のシャントゥーズ。

と言っても狭いシャンソン観にとらわれた歌い方でなく、

それゆえ、シャンソン・ファン以外にもファンを広げている様子。

コットン・クラブでのライブが既に満席というのもうなづける。

歌唱法も変化=進化しているが、あみと違って、恐らく本人は気付いていないのでは?

MCの時のマイクの立て方と、歌の時の斜め具合は恐らく無意識で、

それゆえ耳の良さを感じる(MCの時のポップ・ノイズが殆ど減少)

何よりフレーズに終わりで①口を閉じる②笑顔になる③口をあけてから息を送る

という細かい芸を1~2秒でしているのは、どこで習得したのだろうか?と

不思議。

特に、「あ」のような母音が一拍目となるフレーズのアタックが効果的で

メリハリのきいた歌い方となって来た。

客席で談笑する時の笑い声の低さは瀬間千恵と同じなので、

低域と高域の使い方がより巧みになれば、更なる進化が期待できる。

 

グランヴデットの花木さち子は、ますます自分の長所をよくわかって、

それを生かした歌唱法で客席を魅了。

何より、客の合いの手でMCが長びきそうな時、すかさず

「その話の続きはステージの後で」と切り返したのは、見事な進行。

 

こうした3人をブッキングしたり、カンツォーネ・コンクール受賞者を3人揃えて

(何と、我等の古い音楽仲間・柴田容子も出演)のライブを意欲的に続ける

「蛙たち」は、声量で客席を圧倒しつつ、気のきいたトークで客席を和ませる

ピエールはじめ、幾人ものホーム・シンガーを擁し、これからのシャンソニエ

(日本では、シャンソン・ライブをこう呼ぶ)のひとつのお手本として期待大!

シャンソン界のレジェンド堀内環への栄誉

$
0
0

今まで幾度も伴奏をさせていただいた堀内環と奥様に、

はじめてゆっくりとお話しをする機会をいただきました。

 

シャンソン・ディプロムの「グローリア」と「プロフェスール」W 受証と共に、

シャルル・アズナヴールの「美しき絆」の歌唱が認められて登録がなされた為、

「法定訳詞クレアシオン歌手」として、SACEM でも知られる

数少ない日本人シャンソン歌手となられました。

 

歌に対する真摯な態度は、当初の銀巴里のLPから全く変わらず

その一方で「美しき絆」レコーディング時には、

新しいフレージングに挑戦し、見事にニューワールド完成。

 

十八番の「ラ・ボエーム」 4番の歌い方も、いつ頃からか

「若き日々」の「日」の母音を強調することを止められたり、

常に研究を重ねられる姿勢は、歌手の鏡。

 

一方、

「お客は現在を見て歌手評価するが、

指導者は10年先を見すえて指導しなくてはいけない」

という教えを永田文夫シャンソン研究所の指導方針に

刻んで下さったことに、心より感謝。

報道合戦となった黒木蘭のディプロム取得

$
0
0

フランス・シャンソン芸術協会発行のシャンソン・ディプロムは

一昨年の菅原洋一、今年の堀内環が最高位の「グローリア」取得。

それ以上に話題となったのは宇治在住の黒木蘭の「ダルジャン」で、

朝日新聞はじめ各紙がこぞって取材・報道。

 

全国で33人目の「ダルジャン」は、いわば研修修了証にもかかわらず

地域性の問題か、各紙とも大きな写真入りの記事。

 

活字や電波に「シャンソン」という言葉が躍ることは、

何よりシャンソン活性化につながるので、大歓迎。

かつてカラオケ日本チャンピオンの桂川武が、このディプロムを取得したことで

新聞社の文化センターで「シャンソン講座」講師に抜擢されたように

今後の活躍が期待される。

 

ディプロム取得者は、フランスからのシャンソン大使との共演権が

優先的に与えられることも魅力のひとつ。

 

今年も日本各地で、ディプロム取得者の活躍が目立ちます。

ライブ・ハウスの変化

$
0
0

かつて、日本のライブ・ハウスは音楽文化の発信地で

プレイガイドより、色々なコンサート・チケットが売れた時代も有。

CDもライブ・ハウスに置いておけば、本人が出演していないにもかかわらず

売れることがよくあった時代が懐かしい。

 

以前、グラシェラ・スサーナのコンサート・チケットが

エルムで400枚も売れて主催者がビックリしたことも有。

 

20年位前までは「新星堂」からの依頼で、名古屋のカフェ・コンセール・エルムも

店内にCD用棚を設置し、新星堂が毎月売れた枚数をチェックに来店し、

管理していた時代有。

 

少なくともシャンソンに関しては、店舗の売上以上に売れて、

業界でも注目。

 

時を経て、CDの時代ではなくなり、さらに読書離れから

歌手執筆本の販売も減少。

 

ライブ・ハウスで専門的知識を持った歌手から発信される情報よりも

ネットで、誰が書いたかわからない情報があふれる時代。

 

しかもライブを聞くより、歌いたい人の増加により

音楽文化に果たすべきライブ・ハウスの役割が低下しているのは残念。

バンド・カウントについて

$
0
0

最近、日本人のタンゴ・コンサートで、カウントを英語でとる

マエストロがいることに気が付きました。

かつては、タンゴもラテンも、カウントはスペイン語が常識。

それなのに、シャンソンは英語でカウントをとる人ばかり……

ということが不思議でした。

時がたち、今では、タンゴも「ワン・ツー・スリー」?

「ウノ・ドス・トレス」で感じられる裏拍が「ワン・ツー・スリー」では

感じられないので、その時点でそもそもリズム感がいささか……。

 

一方、踊りでは、クラシック・バレエは「アン・ドゥ・トロワ」が今も健在。

ジャズ・ダンスは「ワン・ツー・スリー」、タンゴ・ダンスは「ウノ・ドス・トレス」。

ライブ会場では、マエストロの生声が客席にしっかり聴こえるので、

歌入りのタンゴは特に、英語でカウントをとって、

スペイン語で歌うことに違和感。

 

 

かつて、アストル・ピアソラ楽団がmss会館へ来て

我々が歓迎演奏をしたこと有。

後に、ピアソラから「キューは誰が出している?」とたずねられ

「誰も出さず、阿吽の呼吸です」と答えたら「それが正しい」と

言っていたことを思い出します。

オルケスタならいざ知らず、コンフントならお互いの呼吸で

出来上がるアンサンブルが最高にちがいありません。

ことわざ通り

$
0
0

 

今年になって、難病の状態が思わしくない日が続きました。

天候のせいなのか、精神的なイラつきのせいなのかは不明。

ようやく元に戻ってきたところです。

 

その理由は、この1週間で続々と届いたSACEM会長・理事からの

日仏シャンソン協会&エルム30周年に対する祝賀メッセージ。

他にもシャルル・デュモン、ジャクリーヌ・ダノ、

フランソワ・ベルンハイム(パトリシア・カ―スの楽曲の作者)等、続々と……!

 

私の病気は、神経と筋肉の病気とのことで、

嬉しいことが続くと急に状態が好転。

良くないことが続いたり、イライラすると急に悪化。

「病は気から」を実感する日々。

アズナヴールからのメッセージ!!

$
0
0

エルム30周年を祝って、シャルル・アズナヴールから

感動的なメッセージが届きました。

いつもは全文手書きで来るのですが、20周年同様、

今回も飾り文字で打ったものにサイン。

パンフレットの表紙を飾れるようにとの配慮?!

 

そして、文中に「ハツ・カトウ」と個人名が書かれていて、

故・加藤ハツ館長を讃えて下さっていることに大感激!

更に冒頭、「シャルル・アズナヴールより」ではなく「家族と共に」

という表現に、またまた超大感激!!

 

家族ぐるみのつきあいと認識してくれているなんて、

とても考えられない、感動のメッセージです。

 

5月の来日公演、大阪でも東京でも逢えるのが楽しみ。


J.ロブションのLE CAFÉ

$
0
0

偶然、新宿のLE CAFÉ de Joël Robuchonに入って休憩。

さすがJ.ロブションの店だけあって、スイーツ類が

デザイン的にも眼を楽しませる。

 

となると、つい食べたくなってしまい(チョット待って!その一口がデブの元……

と知っていても、ブレーキがきかず)、サンドイッチを食べたら、絶品。

それだけで、ケーキ類は指をくわえただけでガマン。

 

思い出したのが、ロブションとソムリエの対談で

「日本では、何故、若い女性がもてはやされるのか?」との問いに対して

「日本の男性は、精神的に未熟なので未熟な女性を好む」

と答えたことに、腹立たしくもあり、妙に納得したことです。

訳詩家協会総会

$
0
0

昨年は参加できなかった、日本訳詩家協会の総会、理事会ともに今年は参加。

久しぶりにお目にかかる片桐和子会長、新井健司顧問との会話には

役立つ情報が満載。

 

それにしても、外国曲の訳詞をする為のルールを守ろうとしても、

訳詞許可のハードルが高いことに、組織として対策が打ち出せないのは

もどかしい。

 

やっぱり根底には、原作者や出版社との人間的なつきあいを

重ねるしかないと思いつつ、帰途に。

 

先日届いた、シャルル・アズナヴールやシャルル・デュモン(この2人は説明する

までもないですよね)、フランソワ・フェルドマン(パトリシア・カースの原曲作者)等、

多くのミュージシャンや、SACEM会長(来月封切りの映画「ダリダ あまい囁き」の

音楽担当)等から送られた私たちの30周年祝賀メッセージを手にしつつ、

音楽で結ばれた友情に感激!

前田はるみさんの名唱万歳!

$
0
0

永田文夫シャンソン研究所の顧問でもある前田はるみさんが

この5月13日に内幸町ホールでコンサートを開かれます。

この日は永田文夫先生の命日。

瀬間千恵さん、栗原道子さんはじめ、一緒にステージを

続けて来られた方々との温かいコンサートになることを確信。

 

永田文夫シャンソン研究所の顧問でもある前田はるみさんは、

この度「日本訳詩家協会」の顧問にもなられました。

 

歌に対する愛情と情熱、妥協をしない誠実な姿勢は

「永田ファミリー」と呼ばれた歌手に共通のものですが、

そのお手本そのものです。

CBCテレビの快挙

$
0
0

国際的メディアコンクール「ニューヨークフェスティバル2018」で

CBCテレビが、銀賞と銅賞を受賞。

近年、民放連内で地方局の健闘が目立って来たことは

指摘されていたものの、今回CBCの栄誉は特筆もの。

 

同局には、

かつて「ドラマの松谷」と言われた名プロデューサー

(シャンソン界では平乃たか子さんのご主人と言った方が

わかりやすい)がいらして、

同時期にキャスターとして名を馳せた日比英一さんと共に、

「名古屋にCBCあり」と言われたものです。

(でもCBCは日本の民放第1号。民放の歴史の中にその名を

刻んだ井澤慶一さんが創設者の一人です)

 

ところが、「ドキュメンタリーの東海テレビ」という評価もあることも、

名古屋の誇りです。

特に、平成28年度文化庁芸術祭テレビ・ドキュメンタリー部門大賞や、

第12回日本放送文化大賞・グランプリを受賞した「人生フルーツ」

の映画館公開と大ヒットが話題。

かつての鈴木充会長から脈々と受け継がれている

「ドキュメンタリー」への熱い想いが、

四日市公害をめぐる大西文一郎さんの名作「あやまち」に始まり、

今も秀作を産み続けています。

 

CBC、東海と、2局も受賞が相次いでいることからも、

名古屋のTV局の番組制作の力は、すばらしい!

と言えます。

お別れ

$
0
0

 多くの人たち同様、私も「館長」としか呼ばなかった母・ハツが逝きました。

 最後の1ヵ月近くは、全く飲食ができなくなったにもかかわらず、

見舞客の手を痛いほど握りしめたり、かすかな声で「会えてよかった」と

言ったりして、その生命力には医師も驚くほど。

 

 「灯そう!名古屋に文化の灯」をモットーに生き、92才、

現役最高齢の女社長として新聞記者から取材を受けた時は、

反戦・平和や、若い歌手育成について何時間も熱弁をふるっていたのに、

まさかの出来事でした。

 

 「舞台に立つ人は、親の死に目に逢えないもの」と言っていた館長ゆえ、

危篤が私に知らされたのは名古屋巴里祭のステージ終了後。

 まさに、その時刻、命を賭すかのような壮絶な歌声で客席を感動させた

瀬間千恵さんは、何かを感じておられたにちがいありません。

 

 喪主であるにもかかわらず、私は通夜にも火葬にも立ち会えませんでしたが、

1年も前から「私が死んでも葬儀はせず、時を待って偲ぶ会をして欲しい」と言っていた

館長の言葉に従います。

 

 日本の将来を担う若い力を育成するために生涯を捧げた、真の教育者・加藤ハツ

を誇りに思います。でも亡くなるその時まで「館長」として生きた彼女に、

本当は言いたかった……「アリガトウ、母さん」と。

 

                                                                    『月刊なごや NO.383』より

弔辞

$
0
0

 江戸川パリ祭当日、私の携帯電話が鳴りました。

 「出棺なので、お母さんに電話でお別れを言って……」。

外へ駆け出し、「永い間アリガトウ」と言ったつもりが嗚咽にしかならず、

ステージへ戻っても、うつ向いたまま。

 

 シャンソン大使=J.P.メナジェが加藤ハツ館長逝去を知ったのは、

駅構内の喫茶店で私に、訃報の載った新聞記事を手にお悔やみを

言われた方の涙を見た時でした。

 

 そして、館長が荼毘に付される、ちょうどその時刻に彼と私は、

コンサート会場でリハーサル中。演奏曲「CHEZ LAURETTE」は、

館長が大好きだったシャンソン。

 それを聞きながら泣いている私を見て、彼も涙を流しながら

演奏し終えると、私を固く抱きしめてくれました。

 「この曲をシュウジのママに捧げて、日本公演の全ての都市で演奏するよ」

と言い、約束通り11都市で館長を追悼して演奏。さらに、スタジオで

フランス語の弔辞と共にレコーディングまでしてくれたのです。

 

 先日、アコーディオン奏者=M.グラスコも弔問の為に来名し、

「偲ぶ会の時も来日する」と言ってくれました。

 

 言葉の通じない異国の人とも、心と心で語り合って来た老婦人の

人生は、国際交流の最も大切な物を示唆していると言えます。

 

 

『月刊なごや NO.384』より

知られざる名古屋市民会館45年の功績

$
0
0

「ブエノスアイレス・タンゴ市民証」を受証した「タンゴ・デ・ラ・エスペランサ」

と「日仏文化交流功労者賞」を受賞した「シャンソンの妖精」ですが、

いち早くその存在に注目したのは名古屋市民会館でした。

 

紅白歌手として絶頂期の菅原洋一と地元アマチュア・タンゴ楽団

「タンゴ・デ・ラ・エスペランサ」との共演(当時はあり得ない企画と言われました)、

更に美輪明宏と地元名古屋のシャンソン歌手たちとの共演(これも前代未聞)等を

「名古屋市民会館自主企画」として開催

 

特筆すべきは、

市民会館職員が音楽・照明・舞台のプラン段階から

共同作業されたこと。

大道具の経費を抑える為、昼食時に女性職員総出で

白とピンクのティッシュ・ペーパーを折って、バラの花のデコレーション

としてホリゾント前に吊って下さったのには感激したことを覚えています。

(その時の一人は、今、名古屋能楽堂の館長)

 

名フィル演奏会のホームグラウンドとしてクラシック音楽発信基地の機能を果たしたり、

ジャズのカウント・ベイシー楽団日本公演等

日本有数の業績を上げた名古屋市民会館の輝かしい歴史を

地元の皆さんにもぜひ再認識して欲しいです。

 

かつての市民局長から「名古屋市民会館が育てたものは、

名フィルと軽音楽の集いmss(今のエルムを作った団体)だ」

との言葉をかけてもらったことを、今でも覚えています。


遺された平和への願い

$
0
0

 92歳、現役女社長のまま逝った、加藤ハツ吹上文化サロン館長

の書き記したものが見つかりました。

 

 冒頭「ありがとう!!今日まで生かされたことに感謝します」と

書かれた文字に、すべての思いが集約されていますが、

「現在の様な状態のまま去る事は断腸の思いです」と続けられていました。

 

 「父は植物学者として自分の意志を貫き、教師としても良き子弟を

育てました。母は世の為になることを信条に、内助の功に徹しました。

両親の生き方を考える時、現状がみじめであっても許してもらえると思います。

 私が全てを失ったとしても、それが修滋の音楽活動にいきるとあれば、

私もまた母と同じ気持ちです。」

 

 「音楽が言葉も国境も越え、世界の人の心を結ぶ素晴らしい力を持っている事は

万人の認める所です。ただ、その活動によって不幸になる人があってはなりません。

 私の人生でただ一点の悔いは、エルムを拠点に一生懸命活動して下さる皆さんに対し、

何一つ応えられず、生活の心配や不安を抱かせていることです。お許しください。」

 

 「あの戦争さえなければ、このような思いを皆さんも私もせずに済んだはず。

やはり平和でなければ…と切に祈るばかりです。平和でなければ文化は育ちません。」

 

『月刊なごや NO.385』より

遺志を継いで

$
0
0

 母が教育者として情熱を注いだのは、「学校図書館運営」と、

「世界連邦」や「九条の会」等の社会貢献活動。

 

 そして、92才現役女社長のまま逝った加藤ハツ館長が最後まで貫いたのは

「文化の多様性」という、アリアンス・フランコフォンの活動理念そのものでした。

 世界108ヵ国に会員を有するここの組織のJ.R.ギオン会長の人柄、

そして平和を希求する生き方に感銘を受けたのです。

 

 万博日本誘致に際し、鈴木礼治愛知県知事の依頼による

J.R.ギオン会長の尽力が功を奏し、旧仏領アフリカ・アジア諸国が日本を支持し、

愛・地球博開催が決定すると、母は私財を投じ、パリのシャンゼリゼ劇場で

「万博支援感謝の集い」を開催。

 その折、各国大使・要人を前に、愛・地球博グローバル・イメージソング

「ブラボー!ムッシュ・ルモンド」が披露され、世界21ヵ国語で歌われる契機と

なりました。

 

 さらに、経産省の依頼の受け「万博PRデー広報活動」として、毎月25日に

無料コンサートを開催し続け、現在も万博メモリアルデー・コンサートとして

154回を数えています。

 

 「万博が残した文化遺産だから、ずっと続けて名古屋の文化的名所にしたい」

……亡くなる1ヵ月前の言葉を胸に、来年も継続開催を決めました。

 

『月刊なごや No.386』より

酒井康雄氏の想い出

$
0
0

名大理学部卒後、プロに転向したギターの酒井康雄氏への

オマージュ・コンサートが開かれます。

 

佐々木伃利子史の片腕として活躍された晩年も、

中部日本ギター協会の会長としても指導者としても活躍された壮年期、

そして新進の「感性と技術を兼ね備えたギタリスト」として活躍された

デビュー当時も、論評に出て来ます。

 

でも力説したいのは、私たち「軽音楽の集いmss」のコンサート

(当初名宝会館のジロー、後に千早のジロー・ミュージックサロンで毎月開催)

の仲間として、最初はフラメンコ、後にフォルクローレや

当時日本では見向きもされなかったアストル・ピアソラ等、

最新の音楽とも相対していた時のことは、全く語られません。

 

酒井康雄氏と共に活躍した当時の仲間には、世界歌謡祭で

歌唱賞&川上賞をW受賞した柴田容子や、

南山大学の「アンサンブル・ウーテルプ」「トリオ・モレーノ」、

県大生中心の「タンゴ・デ・ラ・エスペランサ」等

意欲的な学生たちがたくさんいたことを思い出します。

異国での感涙

$
0
0

 今月号はフランス公演レポートのつもりでしたが、大成功した

コンサート以上に感動した出来事をお伝えしたいと思います。

 

 アクセサリー作家、ジョン・シドニー・キャロンの店を訪ねて驚いたのは、

私の母の手紙が飾ってあったこと。内容ではなく、毛筆の美しさに魅せられたに

ちがいありません。

 震災復興支援のため、母が90才で初録音したナレーションが入ったCDを

渡すと、ジョンは即CDプレイヤーにかけ、聴き終わるや否や、大声で泣き出しました。

側にいた店番の女性も泣いているのを見た私も感涙し、男2人が抱き合って嗚咽。

 

 逢ったこともない私の母の死を悼み「こんな美しい文字を書く人は、

きっと心も美しいにちがいない」と言ってジョンは、母の手紙が入った額縁を優しく

撫でました。

 

 コンサート・ゲストのシャルル・デュモン宅に招かれた時も同じくCDを渡すと、

すぐ聴いてくれて、まず奥様が涙を流し、続いてデュモンの目にも涙。

 コンサート・フィナーレで彼の代表作「モン・デュー」(私の神様)を

日本人歌手16人と一緒に歌うことを約束してくれました。

 「音楽は国境と言葉のちがいを超えて、人の心を結ぶもの」という

加藤ハツ館長の信念が異国の地で実証されたことは、何よりの供養です。

 

『月刊なごや NO.387』より

 

感動的な贈り物

$
0
0

 「修滋のお母さんへのプレゼントとして、今朝書き上げたばかり」

との手紙を添えて、楽譜が送られて来ました。

 差出人は、多くの世界的ヒット曲を持つR.ヴァンサン。五線紙の

裏にインクがにじむ正真正銘、手書きの楽譜に「加藤ハツさんへの

オマージュ」と表記のある、彼の最大のヒット曲「CHEZ LAURETTE」

を手にしたまま、涙が止まりませんでした。

 私もあったことのない彼と、加藤ハツ館長は、もちろん面識が

ありません。それなのに……。

 

 1982年、タンゴ・デ・ラ・エスペランサのアルゼンチン公演に際し

「スター・プレーヤーやバンド・リーダーより、無から有を創る人、

即ち作曲者であるお前への拍手が一番多いであろう」と予言した

マエストロがありました。確かにその通りでしたが、それ以上に

私の母への拍手が多かったのです。

 G.スサーナが「素晴らしい作品を創造する加藤さんを産み育てた、

お母さんはもっと素晴らしいという拍手なのよ」と教えてくれたことは、

今も胸に刻まれています。

 

 母・加藤ハツ館長への、これ以上のクリスマス・プレゼントは

ないという感激は生涯忘れられません。でも、誰よりも親を

大切にする考え方が、今の日本から失われつつあることへの

警鐘のような気がしてなりません。

 

『月刊なごや NO.388』より

Viewing all 1933 articles
Browse latest View live