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KITA坊主から学んだこと

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最近「カフェ・コンセール・エルム」は出し物が多様化しています。

理由のひとつは、愚息Y U J I プロデュースの企画が増えたこと。

 

先は東大卒の演歌歌手として、知る人ぞ知る(?)活躍の「別府たけしシャンソン・ライブ」

にゲスト出演した、フォークと言ってもオリジナル曲中心ギター弾き語りのKITA坊主を

エルムで聴いて、プロ野球と高校野球の魅力の違いを再認識。

 

生ギターと生声にこだわる彼は、当然発声もアクションも一生懸命さを前面に出している為、

そのことだけでも人を魅了する。

 

更に、M C の発声が無駄のないもので美しく

歌う時にはそれを意図的に変化させ、響きを消すテクも持っている。

 

何より、シャンソンと通ずるものは、単語の最初にポイントを置き、声楽出身歌手によくみられる

2拍目以後に母音の美しさ(=作られた声)を捨てているので、「たましいのうたうたい」

というキャッチコピーが生きている。

 

そして与えられた15分を、観客と共有する流れで起承転結する力に、ひとつ学んだ気がする。

 


第1回の歌唱コンクールはハイ・レベル

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日本訳詩家協会主催の日本アマチュア・シャンソン・コンクール初の他ジャンル

歌唱コンクールは1次、2次の予選はスタジオで、本選はコンサートホールでという本格的なもの。

更に審査員がすべて音楽業界の関係者に加えて、

客席にプロ野球スカウトさながら、業界関係者が幾人も。

 

もっぱら表現力のある中堅~ベテランのシャンソン・カンツォーネ歌手

(中にも教室を持って指導されている人が幾人も)がピアノ伴奏で、

ミュージカル「アニー」をはじめ

既に主役を務めたような若手実力派がCDカラオケで大別される応募者。

 

70人の中から32人が競い、グランプリはじめ4つの賞が与えられました。

 

グランプリ    : 水野真以     「How  Far  I'll  Go」

準グランプリ   : 阿部日菜子   「ハート・オブ・ユア・ワールド」

優秀賞      : ER INNE      「幽霊」

特別賞      : ALB I NA      「ローズ」

第1回歌唱コンクール(続編)

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一審査員としての個人的な印象を言えば、

私自身、他の4つのコンクール(すべてシャンソン・コンクール)の審査の時より

「歌は響きの芸術」という観点が、「歌は祈り・願い・叫び」(シャンソンの三大要素)という観点より

若干、比重が大きくなった気がしています。(言わば訳詩家協会の理事としての立場と

日仏シャンソン協会日本支局長としての立場のちがい)

 

そして、以前、石井好子さんが神戸の「日本アマチュア・シャンソン・コンクール」の講評で述べた

「歌のコンクールで飛んだり跳ねたりは……?」

につながる考え方の審査員もあったのかも知れません。

 

そんな中で、審査員や会場だけでなく応募者の中でも評価の高かった林夏子さん

(受賞とはなりませんでしたが「ブラボー!ムッシュ・ル・モンド」を歌唱)の健闘が光っていました。

 

何より、プログラムの訳詞者欄にある私の名前を見つけ、「この曲をぜひ歌いたい!」

と言われた方が2人いらしたことが、彼女の歌唱のすばらしさを物語っています。

(作品の良さを伝えられる歌い手が最高の歌手、と言えます)

 

単純に得点順に並べ、賞が決まるコンクールもあれば、

上位の人の中で各審査員が意見を出し合って賞が決まるコンクールもあります。

ピアノ弾き語りで出場した人は、そのピアノ演奏があまりに素晴らしすぎて(=目立ちすぎて)、

「歌唱」というコンクールの観点からグランプリではなく別の賞ということになった気がします。

音楽著作権を巡る訳詞の問題・入門編

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<その❶:法定訳詞と日本語>

 シャンソンに限らず、外国曲を日本語で歌う場合、原則、カバー申請をして許諾を得る必要がある。

 日本シャンソン界では、そのルールを知らずに(原作者の許可なく)詞をつけて歌われるのが常態と

なっているので、フランスの著作権団体から「違法訳詞天国・日本」という指摘がなされたこともある。

こうした著作権事情に詳しい芳賀詔八郎氏の尽力により、古賀力氏の訳はカバー申請されたものが

多いが、一般的にはサブ・パブリッシャーから「訳詞でなく日本語詞と表記せよ」と求められる。

 一方、「訳詞」という表記がなされているのは「法定訳詞」または「適法訳詞」と言われるもので、JASRACに訳詞に作詞・作曲と共に訳詞として登録されているものに限るが、日本で歌われている

シャンソンの99%は、その要件を満たしていない。

 

<その❷:ミスチルと稲垣潤一の訳詞騒動>

 Mr. Childrenはピート・シガーの名曲「花はどこへ行った」をカバーしようとして録音したが、原曲の

内容を変更したため発売不許可となり、メディア配布されたサンプル盤を回収する騒ぎとなった。(後に

「my confidence song」をカップリング曲として差替え「innocent world」をリリースし、大ヒット)

 一方、稲垣潤一はカバーアルバム「ある恋の物語 My Standard Collection」をリリースする際、8曲の

カバー申請許可を得る為、各々の作詞・作曲・出版社等の手続きを完了し、発売に至っている。

 

<その❸:ワンダーガールズの訴訟騒ぎ>

 韓国の人気グループ=ワンダーガールズは、タイ、ベトナム、カンボジア等東南アジアや中国で、

その衣装・振り付けまでパクったグループが、雨後のタケノコの如く登場。所属事務所は法的措置を

とろうとしたが、振り付けや衣装ではそれを取り締まる法的根拠が薄いので、著作権法を盾に違法訳詞として提訴し、音楽業界に激震が走った。

 

<その❹:日本シャンソン界の訳詞騒動>

 法定訳詞については、JASRACに申請して所定の金額を支払えば、誰でも歌唱や録音が可能であるが、法定訳詞以外(ということは、いわゆる「違法訳詞」及びカバー申請が認められた「日本語詞」)の詞については、その詞を書いた人物の著作物とみなされる為、たとえそれが原作者の許諾を得ていない

ものでも、書いた人物に歌唱許諾の権限があり、その詞の使用料金額も自由に設定できるという事になる。

 現に、日仏シャンソン協会のレコード部門AFJCレーベルでダリダの「歌い続けて」をCD化しようとした

歌手が、その詞を書いた人の許諾を得られず、レコーディング・スタジオ内で立ち往生。困り果てて「

ムッシュならOKしてくれそう。」と矢田部道一氏に電話したところ口数少なく「OK、了解。」と一言。

それがムッシュが亡くなる直前最後の会話。

 他にも歌唱や録音に際し、金銭を要求されたが何とかなりませんか?という相談電話がここ1~2年AFJCへよくかかるようになった。

 日本では、歌手が誰かに頼んで詞を書いてもらい、「訳詞料」として支払いをするケースもあり、

そうするとそれは金銭を支払った歌手の為だけの詞ということになるケースもある。

 

<その❺:フランスでの訳詞>

 イタリアやスペインの楽曲がシャンソンとなっている場合も多いが、フランスでは訳詞家が訳し、原作者の許諾を得るシステムが定着。しかもフリオ・イグレシアスの作品は殆どミッシェル・ジュールダンが

訳すように、プロとプロの間のルールに乗っとったものばかり。(ちなみに拙作「ラスト・リサイタル」も

ミッシェル・ジュールダンが仏語訳詞を書き、SACEMに登録)

 

<法定訳詞取得が困難な理由>

 昔は、日本語詞をもう一度フランス語に訳詞し直して申請するだけでいい場合もあったが、このところ、そのトラック・ダウン前のCD音源を原作者たちに送って聴いてもらう必要があるケース出現。従って、

フランス人好みの歌唱をする歌手が歌う日本語詞ばかりが次々と法定訳詞となっていると言われて

いる。(この20年位の間に法定訳詞となったシャンソンは殆どが浜﨑久美子、岡山加代子、青山桂子の

歌った日本語詞)

 

<とりあえずの注意喚起とまとめ>

①シャンソンを歌う時、法定訳詞はライブもCDも全く問題発生せず

②法定訳詞でも、映像を伴うDVD等は、JASRACに権限がなく、オリジナル・パブリッシャーを通じて

許諾が必要(膨大な時間がかかるので、日本ではシャンソンDVDが極めて少ない)

③歌手が自分で作った物も含め、JASRACに登録されていない詞を、本人に無断で歌唱した場合に、

多額の支払が必要となるケースもあり、特にCD化する時は事前に要チェック。

④一応、ライブに関してはアドリブで歌ったものが、誰かの訳詞に似ていたという解釈で逃れられる

ケースが多いとのアドバイスも多いが、CDや楽譜は極めて厳しい。

⑤日本未紹介のシャンソンを紹介・普及させる運動<シャンソン・ルネッサンス>によって広まり、

法定訳詞及び、訳詞者が別途金銭要求をしない楽曲について、動画と歌詞をセットにしてYouTubeに

アップされたサイト「AFJC chanon」を観れば参考になると思料される。

 

<JASRACデータベース検索>

作者モーリス・ファノンは、「フランスでも良く知られる阿部定の世界と同様、首を絞めつつの情愛を

日本語で正しく伝えている」と言って、加藤修滋の詞を法定訳詞に認めた。

JASRACでこうして楽曲を検索すれば、フランスの作詞・作曲・権利出版社と日本語法定訳詞者、

サブ出版社名が出てくる、「訳詞」という項目がないシャンソンは、カバー申請された日本語詞

又は無許可で訳詞されて歌われているものということになる。

 

<最近の主な法定訳詞シャンソン>

 シャルル・アズナヴール

 青春と言う宝、美しき絆、恋は一日のように、

 不滅のアーティスト、燃える思い愛の日々

 ミッシェル・フューガン

 ブラボー!ムッシュ・ル・モンド、アンコール

 シャントゥ、太陽の誘惑

 パトリシア・カース

 ホテル・ノルマンディ、JOJO

 マリー・ラザロ   

 忘れ得ぬ面影、愛の響き~人生はアズナヴールの歌と共に~

 ジュ シャントゥ

 ジョルジュ・シャトラン

 愛し児へ、歓びに包まれて

 エンリコ・マシアス

 幸せへの言葉~嫁ぐお前に~

 ミッシェル・デルペッシュ

 哀しみの終わり~さあ!今から~

 アルス・ドナ

 やさしさ

 ジャクリーヌ・ダノ

 モネの庭

 リンダ・ルメイ

 シャルルを讃えて

 モーリス・ファノン

 スカーフ

 

         ー日仏シャンソン協会 機関紙よりー

 

名古屋市民生局の施設勤務時代

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障がい者の恋愛と性に切り込んだ映画「パーフェクト・レボリューション」が話題。

 

大学生と共に重度身体障がい者更生援護施設に勤務したのを機に14年間、

重症心身障がい者問題や母子福祉、児童健全育成等の仕事に携わる中で、

自分が取り組んだことを思い出しました。

 

当時、非常識と言われたことも幾つか……。

例えば、単なる下肢障害の車イス常用女性をママに起用したスナックや、

車イス使用者の社交ダンス大会、更には片麻痺同士や、筋緊張アテトーゼタイプの脳性麻痺者が

骨折等せずに結合できる(いわゆるハウ・トゥー・セックス)方法の指導等、

ようやく時代が追い付いて来た気もしています。

 

ちなみに、無事出産し、足でオムツをたたむノウハウも身につけた障がい者の顔も、

懐かしく思い出しました。

教室生徒に教えられること

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25 ある日仏シャンソン協会の教室生徒の皆さんの大半は10~20年の在籍。

中には30 年になる方もいます。

 

そうした、長くシャンソンを歌われる方の歌は、

技術を越えて人の心を打つ魅力を持っています。

 

特に、最初、あまり目立たなかった方が、コツコツと練習を重ね、

歳月を経て(声が出なくなると相対的に腹筋が勝つことになる)声と気持ちが一致した歌を歌われ、

指導者までもが感涙するというシーンを目にすることが増えました。

 

芝居と違って歌は表現力でなく、

観客に想像力をかき立たせるものであることを実感しています。

シャンソン教室生徒と共に、講師も進化

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日仏シャンソン協会公認 2 5 教室の指導者でも

ツー・トップの岡山加代子・青山桂子両講師は、いずれも永田文夫シャンソン研究所に所属。

 

フランス・シャンソン芸術協会から日本で 2人だけという指導者ディプロムを

与えられていて、その指導力は定評のあるところ。

彼女たちの生徒は、長い人は 3 0 年、年齢でも 9 0 才の人もいて、

さすがに円熟の境地の人もいます。

 

生徒が進歩するにつれて、講師 2人が歌手としても更に進化しているのを発見。

C. アズナヴールはじめ幾人ものフランス人歌手が絶賛するメッセージを贈ることからも

そのグレードの高さがわかります。

特に「響きの芸術」としての歌声の側面と、「表現の芸術」としての歌唱法とを

うまく融合させ、シャンソンの本質に迫り続ける様を見ていて、

自分自身は歌うほどに「歌が遠ざかって行く」ような気がしていることへの

反省しきりの今日、この頃です。

C. オーバビー氏の遺志を継ぐ

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元米軍パイロットで、オハイオ大学名誉教授のチャールズ・オーバビー博士が

今年の 9 月18日に 9 1 才で逝去。

 

彼は、日本の平和憲法に触れたことから「第 9 条の会」をアメリカ本国で立ち上げました。

日本では「第 9 条の会なごや」が最初に設立されたが、

その契機は中部大学の勝守副学長(故人)。

勝守氏と親交のあった母(加藤ハツ)はその活動に共鳴し、

平和運動に身を投じましたが、志半ばで故人となりました。

 

音楽を通じて平和運動を推進しようとした加藤ハツ館長の遺言は

「歌い手には平和を願う歌を歌う義務がある。

     何故なら、平和でなければ文化は育たないから」というもの。

この言葉は、フランス国籍のベルベル人=アブドゥルマジッド氏によって

世界65ヶ国の言葉に訳され、広まっています。

 

オーバビー氏の遺志は、より広く世界に浸透しつつあります。


天才!グラシェラ・スサーナ

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昨年、失明寸前の状態で来日公演終了し、帰国直前にエルム歌手たちのカンパを得て

眼の手術を成功させて帰国したグラシェラ・スサーナ。

彼女が再び来日し、11月17日にエルムで「感謝ライブ」を挙行。

 

彼女が歌う日本語の歌詞は(発音やイントネーションが正しくないにもかかわらず)

日本人歌手以上に聴く人の心に伝わる理由について、今まで色々取り沙汰されて来ました。

 

結論は(日本語を理解していない部分ですら感動を与えるのは)、彼女は「天才!」

 

助詞をピアニッシモで歌う基本姿勢だけでなく、通常ブレスをする所をノーブレスで歌ったり、

大切な単語をあえて聞こえないように歌う等、(本人にたずねても、理由は???自然に

そうなってしまうとのこと)

 

彼女の歌唱法の分析は、極めて大切な示唆を与えてくれる。

 

 

第11回 浜松シャンソン・コンクール

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フランス語で歌うことが義務づけられている貴重な

シャンソン・コンクール=「浜松シャンソン・コンクール」は、今年で11回目。

どこのコンクールも年々、レベルが上がっていますが、

ここも御多分にもれず……。

 

更に、浜松シャンソン・コンクールの特長は、フランス語賞受賞者が

グランプリや上位の賞を W 受賞する傾向があること。

 

 

でも根本的には、主催者の河野さん一家(ご夫妻と息子さん)の情熱と、

周囲の人たちの協力姿勢。

ボランティアで動く多くの人たちと、河野さんご一家の家族的な

温かい結びつきは、他のコンクールとは異なった雰囲気を創出。

 

金銭面も含め、多くの困難を乗り切って来られた、

地域文化振興のお手本のような催事。

(ちなみに、名古屋でかつて行なわれた財界主導のシャンソン・コンクールは、

当時最高レベルであったにもかかわらず、2年で終わってしまいました)

シャルル・アズナヴール公演のアンケート結果

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来年5月にシャルル・アズナヴール来日公演が決定した後、

情報が解禁されたのは11月7日。

 

日仏シャンソン協会が永田文夫シャンソン研究所の協力を得て、

11月11日~16日までの一週間、各地のシャンソン教室で生徒の皆さんに

口頭・挙手によるアンケートを実施し、その結果は……(無回答、重複回答あり)

 

(A)アズナヴール2018年5月の来日公演を知っている人?

   ①既に知っていた  3% ②ウワサを聞いた 10% ③このアンケートで知った 80%

 

(B)チケット購入を希望する人?

   ①購入したい 30% ②スケジュール等で検討 40% ③購入しない 25%

     ※購入したい人の中に 2%も大阪・東京 両方という人あり

 

(C)購入希望者のうち、昨年の公演を聴いた人?

   ①大阪公演 20% ②東京公演 35% ③聴いていない 44%

 

(D)過去のシャルル・アズナヴール公演ウェルカム・ソングを知っている人?

   <愛の響き~人生はアズナヴールの歌と共に~>

   ①教室で習って知っている 62% ②聴いたことがある 22%

   <ジュヴォヤージュ~旅立ちの時~>

   ①日本語のCDで聴いている 30% ②日本人歌手のコンサートで聴いた 34%

 

(E)今回のウェルカム・ソング「5月22日のシャルルの為に」の楽譜について

   ①入手して歌いたい 77% ②日本語のCDを購入したい 18%

 

結論的には、

昨年の公演が大変すばらしく、来年は友人を誘って出かけたいという方が驚く程多く、

もしかすると東京公演は発売日までの予約でチケット完売かも?!

(東京は昨年2公演が来年は1公演のみ)

エルムのライブ・アーティスト

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名古屋の「エルム」と言えば、菅原洋一の歌声でオープンし、

美輪明宏、グラシェラ・スサーナ等が出演するライブ・ハウスとして

名を知られて来ました。

このところ、そのメンバーに変化有。

 

女優・夏樹陽子がシャンソンに目覚め、「狩人」の加藤久仁彦、

劇団四季出身の沢木順や鈴木壮麻。

更に若い実力派のERINNE、小関ミオ、宝子

そして何と「ノートル・ダム・ド・パリ」フランスのオリジナル・メンバーの

日本人=CAM IYUも!

 

30周年に向けて、活動もより幅を広め、SACEMやJASRAC、

日本訳詩家協会との協力催事も力を入れるようになりました。

 

乞う、ご期待。

アズナヴール公演、異常な(?)程 好評な前評判で、予約殺到!

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来年5月、93才最後の公演と94才最初の公演を日本で行う、

シャルル・アズナヴール。

 

昨年の公演が大好評だった為なのか、発売はおろか、

先行予約さえ始まっていないのに、日仏シャンソン協会へは

200名超えの予約の予約が(?!)

 

このままだと、来年2月の発売日までに予約で完売かも?

意外な日本人アーティストとのコラボもウワサされていて、

ニュースから目が離せない。

 

本心としては、

アズナヴールを生で聴いたことのない人や、

シャンソンに今まであまり興味がなかった人こそ、

その圧倒的存在感と歌唱表現に浸って欲しいものです。

 

逝きし人々

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TVで辛口コメントをしていたサッチーこと野村沙知代さん。

物議を醸しだすことも多々ありましたが、私の印象は、礼儀正しく&元気なオバサマ。

 

以前、私どもの顧問・永田文夫先生と京王プラザで打合せ&会食をしていた時、

野村監督ご夫妻も同じ レストランでお食事中。

お二人揃ってこちらのテーブルにいらっしゃってご挨拶をして下さいました。

TVで拝見するのと全く雰囲気がちがうことに少々とまどいつつ

お話しをしました。

 

 

巷の顔(ステージでの顔)と、個人的に接する顔のちがいに

最初に面食らったのは、淡谷のり子さん。

エルムの2階にあるMSS小劇場に、亡くなる3年前まで出演を続けられましたが、

控室での対応はこちらが恐縮する位、丁重そのもの。

ちょっとした頼まれごとをして差し上げた後でも深々とおじぎをされ

「本当に、ありがとう」と声をかけて下さいました。

 

悪役もなさった名脇役・内田朝雄さんも、きびしい内容のダメ出しを

優しく諭すようにして下さいました。

私たちを導いて下さった方々も含め、歴史を刻んだ人たちが

鬼籍に入られ、淋しい限りです。

 

 

名古屋のShowステージ変革の予感

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舞台・企画・制作を行うザ・デイライトフル・カンパニーのミュージカル・ドラマ

「マイ・ブルー・ヘヴン」が名古屋市民芸術祭2017主催事業として開催

されました。

 

過去、名古屋で開催されて来た同様のステージと比較すると、その根底にある

制作思想のちがいからしてエポック・メーキングなステージ。

台本・演出をNHK元エグゼクティヴ・ディレクターの伊豫田静弘氏が

担当されたことで、格別なすばらしいものになることは予想通り。

やはりNHK出身の川口直次が舞台美術、そして“センター・ピンの達人”と

評された、元若尾綜合舞台の御原祥子女史、等「名人」というべきスタッフ起用は

想定内でした。

でも、メリー・アーティスツ・ジャズ・オーケストラに、名古屋のジャズ・シーンの代表者として

TPの渡辺勉、Saxの椿田薫両氏を起用という細部に至るまでのキャスティングは、

実に念が入っていることだけでも特筆もの。

 

余談ながら、渡辺氏のTPは、シャンソンの岡山加代子リサイタルでも活躍。

Saxの椿田氏率いるC.U.Gジャズオーケストラの結成当時、エルムの2階(mss小劇場)が

練習場であったこと等、何となく身近に感じる人たちが加わった公演が成功したことに拍手。

こうした動きは名古屋のSHOWやステージに、大きな刺激となったことは

記憶に留めたいと思います。


タンゴの真髄に迫りつつあるKaZZmaの進化

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かねてより、日本の若手タンゴ歌手として注目されていたKaZZma。

エルム・デビューは、日本唯一、オルケスタを率いることのできる門奈紀生コンフント

「アストロリコ」との共演。

正直、その時は「なかなかセンスの良い、将来性のある若手」というイメージ。

 

ところが先日、名古屋大学大学院准教授・西村秀人氏解説によるNHK文化センターでの

催事に、自身のギター・トリオで出演した折、あまりの進化にビックリ。

何より、多くの日本人タンゴ歌手の誤った唱法(1・3拍目を強調すれば良いという考え)

から脱却し、16Beatが根底に流れるアフタービートのエッセンスを身に付けていた!

それは、彼のギターにより濃く表れていて、日本最高のタンゴ・ギタリスト=小松勝

(バンドネオンの小松亮太の父)はじめ、ごく少数のギタリストが得意とする奏法に、

かなり近付いている。

もちろんテクニックは、あまたいるプロのギタリストと比較にはならないが、

学んで上達することの困難な「ニュアンス」を身に付けたことは大きい。

唯一残念だったのは、日本でもラテンやタンゴのミュージシャンは「ウノ・ドス・トレス」と

カウントするのに、今回2曲以外はKaZZmaのカウントが「ワン・ツー・スリー」であったこと。

気のせいか、スペイン語でカウントをとった「チェ・パプーサ・オイ」と「バリオ・デ・タンゴ」の

2曲は、その後のリズムの乗りが良かった!

 

日本のシャンソン・バンドは殆どが「ワン・ツー・スリー」でカウントをとることで、

シャンソンの本質からはずれると指摘したフランス人がいたが、

バレエで「アン・ドゥ・トロワ」のカウントが必要なように、ラテン・タンゴは「ウノ・ドス・トレス」

(かつての日本の優れたプロ・ミュージシャンはそうであった)でカウントすることにより、

裏リズムを観客にも感じさせて欲しいと思う。

桐部要介カムバック・ライブ成功

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かつてアマチュア・シャンソン・コンクール中部地区大会グランプリの

副賞として,、愛知万博会場での「万博巴里祭」に白木ゆうこ等と

共に出演した桐部要介君が、エルムで昼のライブを挙行。

 

バックのミュージシャンも若手で揃え、もちろん客席も若い人が多く、

「新時代のシャンソンはこういう人たちの手で開拓されるのだろう」と

思わせてくれるものでした。

 

何より、(教員や保育士歴のある人は、そういうケースが多いが)

観客の心の中を、きちんと把握したMCができているので、

歌以外に客席を湧かせたり、シーンとさせたりできていることは

エルムのレギュラー歌手も学ぶべきところ有。

 

歌そのものも進化著しく、きちんとレッスンをすれば、

かなり「ノビシロ」があると思われます。

新春早々、とても気持ちの良いライブでした。

西原なつきのバンドネオン

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岡山県出身で目下、アルゼンチンでバンドネオン修学中の、

西原なつきの一時帰国公演を聴いて、自分たちの昔を思い出しました。

大学生の時から「タンゴ・デ・ラ・エスペランサ」というコンフントをやっていて、

アルゼンチン公演もしました。

その時のライブLPは、1万円(当時 3千円)で取引されているそうです。

 

シャンソンとちがって、タンゴを志す人は、若い人でもアルゼンチンへ渡って、

現地のネイティブな人たちの中でステージを経験し、タンゴの本質を

身につける人が多い。

 

シャンソンは、フランス人と現地で公演をする人は、日仏シャンソン協会と

永田文夫シャンソン研究所のメンバー以外は殆どありません。

西原なつきさんのバンドネオンにも、タンゴに不可欠なニュアンスが感じられて、

とても心地良いものでした。

 

更に、タンゴ奏者にはめずらしく、ステージでのM C が極めて明るく、

笑顔だけで人を惹きつける何かがありました。

いずれ帰国されて日本で活動する時には、とても役立つキャラクターです。

 

ひとつだけ残念なのは、足でのリズムが「つま先」になっていること。

ロベルト・パンセーラが私に教えてくれたことの中で、一番強調したのは

「リズムは踵でとるもの」と言うことでした。(ホセ・バッソも同じことを言っていたそうです)

このことだけでリズムの切れが全くちがうので、フロリンド・サッソーネも含め、

ダンス系の楽団は皆、それを金科玉条にしているようです。

 

それにしても、彼女がバンドネオンを短期にそこまで習得した陰には、

まちがいなくネイティブなアルゼンチンの奏者の影響があるにちがいありません。

今回同行したグスタボ・エイリスのギターを聴いていて強く、そう思いました。

 

グスタボのギターの躍動するフレーズ感は、さすが!でした。

日本文化を知り尽くすジャクリーヌ・ダノ

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永田文夫シャンソン研究所は、故・永田文夫初代所長逝去に伴い、

不肖、私が所長を受け継ぎました。

永田先生の遺志を継承し、更に推進すべく、教材DVDを会員以外の

歌手の方々にも提供するようにしたところ、大きな反響有。

 

特にジャクリーヌ・ダノの歌う「そして今は」の最後

“Rien”をピアニッシモで歌う所が目からウロコとの声、頻り。

 

ベコーと親しい友人であったダノは、ベコー本人より早く

この歌をアメリカで歌い、英語で流行する契機を作りました。

ベコー自身「そして今は」はダノの歌が一番だと言った程。

 

シャルル・デュモンの「モン・デュー」も、85才の時

最後の“Encore”をピアニッシモで録音したのは、

「あの偉大なエディット・ピアフがフォルテで歌ったので、

 自分もそうせざるを得なかったけれど、本当は心の中で祈る歌」

という強い思いから。

 

フランス人の様々な考え方、歌い方を余りにも我々は知らな過ぎると思った次第。

 

一方、ジャクリーヌ・ダノは「私は仙台の伊達政宗の生まれ変わり」と言って

墓参りしたり、エルムで「そして今は」を歌った時の照明(暗闇から、じわり、

じわりとフェード・イン)を「暗黒舞踏スタイル」と評し、周囲を驚かせました。

 

土方巽、麿赤児等の舞台パフォーミングは、フランスでは「BUTO」という外来語として

「JUDO」同様、定着していることは知っていましたが、

歌手であるジャクリーヌ・ダノがそれまで知っているとは!

それなのに来日の度に各地の公演で司会者がたずねる

「テンプラは?おスシは好きですか?」という質問にウンザリ。

「私は歌手で役者で、コックじゃないのに。何故、歌や舞台のことを質問してくれないの?」

と言っていました。

拠点を持つErinneの強さ

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北桂子のピアノ・バーREDを継いだ形のErinneは、

ピアノ・歌・容姿・トーク・プロデューサー的センスが何拍子も

揃っている、シャンソン界にはめずらしい貴重な存在。

 

2回目となる今回の「シャンソン雑談会」には、歌手の黒川泰子、

葉月よしこ、谷リエ子、樫村ひろ子、花田玲子等も参加。

何より訳詩家協会の高田事務局長が来場されたので、

用意した教材を急遽変更したりして、色々あせり気味。

 

今までの雑談会は、浜﨑久美子、芹沢抄子といった人たちを同行したので、

ステージに関して安心していたが、今回同行したのはまだ新人の金田一帆南。

Erinneとのステージ上での慣れの差が心配されたものの、お客様の「金ちゃん」

の掛け声にも助けられて、無事務めを終えて一安心。

それにしても、根なし草の活動ではなく、自分の拠点となる空間を持っている人は

さすがに強いと思った次第。

Erinneは自らブッキングする活動も含めて、他の歌手から多くのものを

学ぶことができるからなのか、聴く度、見る度に成長著しい。

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