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Channel: 加藤修滋のブログ
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パリ同時テロの衝撃

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スタッド・ド・フランスは一般的にはサッカーの殿堂で、
フランスのスポーツ文化のシンボル。

でも我々にとってはジョニー・アリディーが三か月連続で
10万人(=30万人)を集めてコンサートを行った
音楽文化の拠点のひとつ。

更に、ジャクリーヌ・ダノが出演した「ベンハー」の会場となった場所。


バタクラン劇場は、今でこそ若者の好む音楽の拠点ですが、
その昔、モーリス・ファノンが成功を収めた
シャンソン・フランセーズ・ヴァリエテのメモリアル・ホール。


我々の仲間ヴェロニク・ペステルは、ツアーの内パリでのコンサートを中止し、
「3日間、喪に服します」と語りました。

このテロの衝撃は、今、主として報じられている事に留まらず、
これから先の人間の考え方を変えてしまうことにあります。


9.11を機にアメリカが国民を先導して、中東情勢を泥沼化させたことと同じことを
フランスがしないように願うばかりです。


「戦争状態に入った」という明解なワン・フレーズで
憎悪の連鎖となることは避けるべきですし、
その困難なことを成し遂げるのが政治家の真価と考えます。

世界中から貧困がなくならない限り、
いつまでもこうした状態を造り出そうとする人たちが出てきます。

そうしたことに警鐘を鳴らす有識者の発言が大きくならないことこそ
衝撃を覚えます。

世界平和を祈って

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Au lieu d'un manifeste sur les attentats de Paris


Nous haïssons le terrorisme
mais pas les gens acculés et abandonnés par la société

Nous haïssons la guerre
mais pas les soldats envoyés sur les champs de bataille

Nous nous souvenons
d'une légende dans laquelle l'allié et l'ennemi
chantaient tous les deux la même chanson "Lili Marleen"
sur les champs de bataille à ce moment-là

Nous nous souvenons
d'une scène dans laquelle les jeunes criaient "Peace"
en faisant le signe V
"We Shall Overcome" retentissait
des colombes de la paix arrivaient sur terre

Nous attendons
la force plus forte que les armes
car des milliers de gens sont capable de chanter tous ensemble

Nous choisissons
de continuer à chanter afin d'harmoniser le monde
à l'inverse de la politique qui incite une opposition

Nous prions
pas seulement pour les victimes
mais aussi pour les âmes qui vont bientôt partir
pour les futurs enfants qui vont naître

Et nous allons tourner la page
dire adieu à l'histoire de carnages
provoqués par la haine répétitive




<パリ同時多発テロについての声明文に変えて>

日仏シャンソン協会日本支局

私達はテロを憎みます社会から見放され、追い詰められた人達ではなく
私達は戦争を憎みます戦場に送られた兵士達ではなく

私達は覚えていますあの時、戦場では敵も味方も
「リリー・マルレーン」を歌っていたという伝説を
私達は覚えていますあの時、若者達がVサインをして
「ピース!」と叫ぶと たちまち「We shall overcome」が
世界中に響き渡り平和の鳩が舞い降りたことを

私達は待っています武器より強い力を
何万人もの人達が声をあわせて歌うことが出来るのだから

私達は選びます対立を統一する政治より
対立を調和させる為に 歌い続けることを

私達は祈りを捧げます犠牲者の為にだけではなく
やがて召されようとしている命と
これから生まれ来る 幼子たちの為にも

そして 私達は訣別し、別れを告げます
繰り返される憎悪による殺戮の歴史に

母亡き後に気付いた事

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親を見て子は育つことは確かですが、
私の場合、母は三半規管に問題があって音楽好きにも関わらず楽器はまるでダメ。

教員時代も、音楽の授業は専科の先生と交替授業。



私の息子は、今はピアノを人前で弾くようになりました。

「カエルの子はカエル」とおっしゃる方が多いのですが、
息子はお婆ちゃん子で母(彼にとっては祖母)を見て育っています。


色々なことにさり気なく気を配りますが、
私の母に対して特別親しそうな感情も表現はしていませんでした。

ところが、母が亡くなってからの一年半くらいの間の彼の働きぶりを見ていて、
いかに深く母と関わり、大切に思って来たかに気付きました。


本来、喪主である私が火葬の時も東京でステージ。

フランス人アーティストと全国ツアー中で、母の遺骨を抱けたのは一ヶ月後。

その間、一家の大黒柱の如く働いたのみならず、
母が半年後に迫られていた立ち退きに際しての家屋解体前の手続き・作業の手際良さ。


そして、名キャスターとして名を馳せた日比英一元CBCアナウンサーによる
司会の言葉にあったように、
「歴史に残る斬新で盛大な偲ぶ会」に際してのパンフレット作成から開場設営。


特に、ウェスティンナゴヤキャッスル天守の間という広い空間を
高さも生かしたディスプレイでの「遺品展示会」と
500名もの参加者のあった追悼食事会&コンサートの台本から進行まで…。


母の魂が乗り移ったかのようなその働きぶりを見て、
母が本当に喜んだのは、息子の私の今ではなく、
孫である祐滋の自分への愛情の深さと、
やがて近い将来、私以上のことを成し遂げるであろう予感だったのではないかと、
今、しみじみ思います。

祈りについて

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人は神に祈る時、跪き、時には正座し、ある時はひれ伏す


人は神に祈る時、立ったまま腰を手にあてたり、拳を握ったりしない


人は願いを告げる時、相手より下に位置し、手を合わせて仰ぎ見る


人は願いを告げる時、腕を組んだまま、相手を見下げたりしない


時として人は叫ぶ、抑えきれない心の発露に思わず声を上げる


人が叫ぶ時、それ程の想いが募っていることを、理性が受け止める


祈ることを止め、願いを伝えず、叫びを内にため込んだ時


人は武器を手にして来たことを知っているのか?

ピンクのポインセチア

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エルムのXmasパーティーは連日大賑わい。

ピアノの上も白いファーで覆われ、テーマ曲も矢田部道一さんからプレゼントされた
いつもの「ジュテーム・ア・ラ・フォリ」ではなく
Xmas定番の「ジングルベル」で盛り上がり。


そんな雰囲気を視覚的にアップしてくれるプレゼントを美松花園から頂きました。

ピンクのポインセチアで、赤だと歌う曲によっては派手すぎても、
このピンクだとオールラウンドの感じで感謝!



そこで思い出したのが石井好子さん。

毎年、エルムにはポインセチア、エルムスタッフにはみかん、私にはネクタイ
…と3点セットで贈って下さっていた故人は、
日本シャンソン界の大恩人であると共に、私たちにとっても忘れられない人です。



たわごと…?いえ、かすかな期待

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時と場所を越えて、私たち人間の心の中には天使と悪魔が同居している。

ゆえに私たち人間は、聖母マリアにも弥勒菩薩にもなれない。

なれないと分かっているからこそ、憧れ敬う。


全ての宗教に共通するのは「祈り」

人が時として祈りを忘れた時、妬み、嫉み、怒りが頭をもたげる。

私たち人間の歴史に、戦の絶えた事はない以上、
これからも皆無を望むことは困難なのかもしれない。


でも、大きな戦いを小さな戦いに、多くの戦いを少しの戦いにすることは、できるに違いない。

なぜなら、今まで世界の歴史の中で、戦争より平和な時が長く流れたことがあるから。

平和な地域が多かった時もあったから。

美輪明宏さんの教え~その1~

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東京・大阪からシャンソニエ通のお客様がエルムに来店されると、
決まって「独特の雰囲気ですね」と言われます。

何でも、飲食しつつ気軽にというアット・ホームな感じなのに、
ステージ中は客席が真剣そのもので、ミニ・リサイタルみたい…ということの様。


瀬間千恵さんやゲスト歌手の方も「ピンスポットがなくて、
お客様の表情がよく見えてしまうので緊張する一方、
客席の人はステージに集中していて、遣り甲斐がある」とおっしゃいます。

仲代圭吾さんは「ここは、歌手にとって道場だね」。


モーリス・ファノンは「パリの僕の店と同じで、お客様が心で歌を聴いてくれる」…。


そういうグレードの高い観客は自然に集まったのでなく、
美輪明宏さんが何年もエルムに出演する中で、
結果的に「観客教育」をして下さったからこそだと思います。


ある時、いつも幾人も連れて来店されるエルムの大切なお客様で、
外での公演もチケットを多く買って下さる方が、
美輪さんのエルム・ライブに6人で来店され、最前列に座られました。

いつもと違い、その時のお連れ様は水商売の女性ばかりの様子で、
ステ―ジ中のおしゃべりが気になりました。

1回目のステージの後、美輪さんが
「加藤さん、そのお客は他のお客の邪魔だから、帰ってもらって。お代は私が払います」
とのこと。

恐る恐るお客様に伝えたところ、
「その方が良さそうだね。俺たち帰るから、通路で立って聞いている人に座ってもらっていいよ。これ、迷惑代」
と言って、余分にお金を支払って帰られました。

次に来店された時、「これからは、美輪さんの姿を見たい人じゃなく、美輪明宏さんの歌を聴きたい人を連れてくるからね」…。


美輪さんの言葉は今も忘れられませんが、
このようなお客様がエルムの雰囲気を創って下さっているのだと思います。

美輪明宏さんの教え~その2~

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毎年、名古屋巴里祭に出演を重ねて四半世紀。

美輪明宏さんは「ピン」でしか歌われないのに、
エルムの若い歌手たちを前唄で使い続けて下さいました。



リハーサルは、そうした新人歌手の時も袖で聴いてくださって、
時折楽屋への召集を掛けられました。

「何、今のウナギ声は?寸胴で捕えどころがないじゃないの。メリハリはどうなっているの?」
「気持ちと声がバラバラよ」とか、アドバイスをして下さいました。


そんな幸せな経験を毎年繰り返し続けたエルムの歌手たちは、
今ではシャルル・アズナヴール始め、フランスのアーティストたちから、
その歌唱方法を賞讃される歌手に育ちました。

彼女たちが美輪さんから教えて頂いたことを、
今度はもっと若い、歌手を目指す人たちに伝承することが、
美輪さんへの恩返しだと思っています。


美輪明宏さんの教え~その3~

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その昔、ファッション・デザイナー組織NDCより
美輪さんのディナーショーの依頼があった時のこと。

カメラマンに「写真はお断りします」と美輪さん自身がおっしゃいました。

主催者腕章を付けたカメラマンが撮り続け、ステージの上まで上った時、
美輪さんはショーを中止。

「私もバンドも、音響・照明・舞台も一緒の気持ちになっている時に、
一人記録を残すと言う感覚が居るのは納得できない。お客様にも迷惑です。」


この言葉に、私たちは歌手一人ではなく、
ステージに関わる人全体で共通の空間を創造しているという事を教えられました。

美輪明宏さんの教え~その4~

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名古屋巴里祭を二日連続で行っていた時の事、
初日ゲスト・美輪明宏さんのステージを観た二日目ゲストのジャクリーヌ・ダノは、
打ち上げの席で美輪さんの歌を「ファンタスティック」と絶賛した後、
一言評論を付け加えました。

通訳が(内容的に)少しためらっているとフランス語の意味を即座に解された美輪さんは、
「どうもありがとう」とだけ応えられました。

翌年、「エディット・ピアフ物語/ジャクリーヌ・ダノ」という
ジャクリーヌ・ダノの来日公演記念盤CDをパリのスタジオでレコーディング中に彼女が
「このCDにはアキヒロ・ミワの日本語ナレーションが必要。
何故なら、E.ピアフの心を理解する唯一の日本人だから」とオファー。


パリから即、日本に電話したら快諾。

出来上がったCDは、初の日仏歌手共演とCDとなりました。

美輪さんの素晴らしいナレーションは、フランスでも話題となりました。

そして、この美輪さんの日本のスタジオに於けるレコーディングは、
彼女へのプレゼントだったのです。

人の小さな善意にも応える人間性を見抜いたジャクリーヌ・ダノと
美輪さんのオランピア劇場での共演は、正面看板の金額見積もりまで行ったところで、
フランスの核実験の余波で消滅。


でも、友情の記録は残され、その後「もののけ姫」の仏版では、
美輪さんの声の吹き替えをジャクリーヌ・ダノが担当しました。


善行も連鎖しますが、それ以上に悪の連鎖が気になる今日、
美輪さんの古いオリジナル曲「祖国と亡霊たち」が耳について離れません。



美輪さんの色紙の言葉は「慈悲」。

洋の東西を問わず、人間の最たる大切なものを美輪さんはずっと説き続けて下さっています。

<シャンソン・リテレアリスト>創始者来日公演

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名古屋の「カフェ・コンセール・エルム」と姉妹提携を結んでいる
パリの「ル・コネッターブル」のスター歌手=ヴァレリー・ミシュレーが
来年、第22代シャンソン大使として来日決定。

実は、「名古屋巴里祭2015」に
第21代シャンソン大使ミッシェル・グラスコの随行員として初来日。


「加藤ハツ館長を偲ぶ会」に参加できなかった
モーリス・ファノン夫人=フランソワーズから、
「日本のシャンソンの母=ママ・カトウへの感謝のプレゼント」として、
名古屋巴里祭だけのために来日公演、即帰国しました。



ところが、その折のビデオをYouTubeで観た日本各地のシャンソン・ファンから、
「ぜひこちらでも出演を」というオファーが続出し、異例な形で彼女が第22代シャンソン大使、
そして随行員として昨年のシャンソン大使=ミッシェル・グラスコのコンビでの来日が決まったものです。


左岸派文学的シャンソン好きな人の間では、
人気の高いベルナルド・ディメを歌わせたら当代随一と言われるヴァレリー・ミシュレーですが、
彼女自身はオリジナル曲にもこだわりがあり、
現実から目をそらさないレアリスティックな作風なので、
私たちは<シャンソン・リテレアリスト>なる造語を、彼女のキャッチ・コピーに決めました。


この造語は彼女の為に創られたので、当然他に誰も居ない=と言うことは、
ヴァレリー・ミシュレーは<シャンソン・リテレアリストの第一人者!>


来年、日本各都市でのステージに乞うご期待!

病気をすると人格が変わる?

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…という人がいますが、少なくとも物の見方が変わった気がします。


昨年8月に発病した重症筋無力症(登録患者2万人の難病)が急に悪化し、救急病棟へ入院。

一ヶ月で本来、一般のリハビリ病棟へ転院のところ、強引に退院。


その代わり、鼻から胃に経管チューブをつけたままの姿。


入院中に知ったパリのテロでアンヌ・シルベルトルの孫、
バティスト・シュヴローが24歳でバタクラン劇場で亡くなったことに端を発し、
追悼歌を病床で作りました。

それを完成させ、レコーディングする為に無理を承知で退院したのが功を奏したのか
(毎日14時間位動くので、結果的に一日中リハビリしている形?)
急速な回復で周囲も驚いています。(ステージ復帰は2月予定ですが…)


入院中にアレコレ考えていたことも、思い出した過去の出来事も、
将来への展望も皆、今までとは異なったもので、物の見方は確かに変わりました。

変化した見方、考え方で新たに成すべきことが少し見えて来た気がします。

今年は、これまでとは少し違った考え方もプラスした動きが可能になるのかも…?

ミッシェル・デルペッシュを悼む

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一時代前には、フランス・シャンソン界の三大ミッシェルと呼ばれたこともあった、
ミッシェル・デルペッシュが新年2日、長い闘病生活の末、舌癌で逝去の知らせ。


彼の遺作「La Fin du Chemin」のYouTubeオフィシャル・クリップは、再生回数急増。

ラスト・シーンの「オーヴォワ!」が今から思えば今回を暗示?

暗示と言えば2012年、名古屋巴里祭で上演したシャンソン・ミニ・ドラマ
「カリスマ・プロデューサー ジャン・マリー=マルス物語」のラスト・シーンは
ミッシェル・デルペッシュが病床で東日本大震災の為に
「哀しみの終わり~さあ!今から~」を災害復興支援シャンソンとして
日本へ送るというもので、
大沢樹生さんが初のシャンソン歌手としての役で登場し、
劇団四季出身の鈴木壮麻さんと共にフィナーレで歌った演出がフランスでも話題となり、
まさに今回を暗示していると今再び話題。


デルペッシュはその後、加藤ハツ館長との心の交流を深め、
「シェ ロレット~懐かしの店~」のオリジナル譜を
ローラン・ヴァンサンを通じてプレゼント。


日仏シャンソン協会としてのみならず、
日本の災害に対し初めて支援の意を示したシャンソン歌手として、
歴史に名を残すことになりました。


「哀しみの終わり~さあ!今から~」の法定訳詞を指定するにあたり、他の日本語詞は、
被災地から丘の上に逃げて行った人が丘から
被災地を見下ろしている訳であることに反発。


鈴木壮麻さんも歌った訳詞がオリジナル同様、被災地にいる人たちが、
丘の向こうに希望を求め歩いて行うという内容であることに感激し、
法定訳詞権を認めたといういきさつ有。


いずれにしても、2014年パリ公演の折、病院へ見舞えなかったことが悔やまれます。


「ワイト・イズ・ワイト」の時代とは全く違った「やさしさ」を携えた歌い手に変身し、
見事なカムバックを果たした彼と語り合う時を夢見ていましたが、かなわぬ願いでした。

でも彼が日本に贈ってくれた災害復興支援シャンソン「哀しみの終わり~さあ!今から~」は、
加藤ハツ館長のナレーション入りCDが今も無料配布され、多くの人に歌われ続けています。

またひとつの惜別…マンボ・ランド

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15年間の歴史に幕を閉じ、名古屋・吹上のライブ・ハウス=マンボ・ランドが閉店しました。


キューバン・ボーイズで活躍したパーカッショニストと、
若い奥様(ピアニスト)が手作りでエルムの斜め前にオープンさせ、
安い価格で連日ライブを繰り広げていました。


当初、ラテン・ジャズ色が濃かったのですが、次第にエルム出演者もラインナップに加わり、
CD制作も手掛けて一時はわが世の春的な時も有。

日本アマチュア・シャンソン・コンクールにも応募者を送り込んで下さったりしていました。

中日新聞役職の方が、コラムにマンボ・ランドという店名を伏せて紹介された折、
我がエルムは今よりタンゴ・ラテン色が強く、
グラシェラ・スサーナやトリオ・ロス・ペペス等が出演していた為混乱をきたし
「吹上でラテンが聞ける店」との表記に、
マンボ・ランドよりエルムへ大勢のお客様が流れて、
思いがけないご利益にあずかったことも思い出します。



少し前に、ステージ上で奥様がピアノ伴奏中に脳血管障害で倒れられましたが、
来店中のドクターでアマチュア・ミュージシャンのお客様がいらっしゃったため、
適切で素早い対応を得て、早く回復され、お店もすぐに再開されていらしたのですが、
残念です。


お店を作る時も、ご主人自らノコギリやトンカチをふるい、
電気配線ミスで火傷されたりしながら、やっとこぎつけたとのお話も聞き、
開店時も業者でなく自分たちの手でひとつひとつ片づけられたようで、
そうしつつ15年の歴史に涙しつつ別れを告げられたのであろうと、万感胸に迫ります。


ひるがえって、私自身病気入院の末、ピアノを4ヶ月間弾いていない日々が続きますが、
一日も早く復帰して、エルムの灯を守りたいと願う次第です。

PR: オレオレ詐欺を防ぐのは、オレだった。-政府広報

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カンニング竹山さん出演の動画公開中!マイナンバー詐欺等の最新手口や実音声もご紹介

ポピュリスト政治の時代

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理知的に対話を重ねて対立物を統一する政治家より感情的に対立を扇動し、
支持を集める政治屋が、国内外・東西を問わず跋扈しています。


その根底には〇か×か、白か黒かの発想があり、数字史上主義があると考えられます。


弱肉強食の動物的価値基準ではない知性とそれによって導き出される理論によって、
幾多の誤りを繰り返しても発展を続けて来た人間故の行動パターンが今、
眼前で音をたてて陥られていくのが見えるでしょうか?!


音楽でもプロフェッショナルが力を失い、アマチュアやセミプロの時代。

完全無欠伝説の歌や女優でなく、どこにでもいて、いつでも会いに行けるアイドルの時代。

便利ではあっても、危うさを内在した社会変革に気付き警鐘を鳴らすのは誰?

取越苦労

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15年続いた名古屋・吹上のライブハウス「マンボ・ランド」閉店とのブログをアップしたら、
即「移転して新栄のビルの地下で小ぢんまりとしたスペースだけど再開するヨ」
との連絡を下さった方が有。

確かに床面積が今までの広さのある店は、とても経営が難しいかも…。

でも15年の歴史を支えたお客様の事を考えると、スペースが小さくなっても、
憩いの場として継続していかれるのは
同じ憩いの空間を分け合っている我々にとっても嬉しい事です。

鈴木壮麻さんの快挙

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第23回読売演劇大賞の優秀男優賞に鈴木壮麻さんの名前を見つけて嬉しく思いました。

下馬評の高かった小栗旬さんは落ちて、
何と5人のうちミュージカルから3人(他に城田優さん、山本耕史さん)という顔ぶれ、
本選発表までにあと数日。

壮麻さんのエルム・ライブ当日にどんな発表ができるか…?!

でもノミネートされるだけでも名誉なのは、アカデミー賞やノーベル賞も同じ。

更なる朗報を待ちたいです。

瀬戸内寂聴さんの野坂昭如さん評にふれて

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中日新聞夕刊に瀬戸内寂聴さんが
野坂昭如さんのことについて書いていらっしゃるのを読んで思い出したこと有。


文末に「それにしても12年もの闘病生活を明るく守り通した暘子夫人を、
宝塚で見出した野坂さんの女の鑑識眼の見事さを忘れてはならない」と書いてあるのは、
瀬戸内さんこそ、お二人の関係を良く見抜かれていたと思う。


野坂暘子さんとは、エルムの東京出張公演を彼女のアトリエで開催し、
東京新聞に大きく取り上げられた時からの関係で、
小型バスに機材も歌手も伴奏者も乗せて、名古屋から夜走りして行った手作りコンサートでした。


暘子さんのエルム・ライブも2回ありました。
暘子さんを紹介して下さった永田文夫先生が客席で眼を細めて、
楽しそうに聴いていらしたことを思い出します。

ご心配お掛けしましたが、ほぼ(!)復活

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昨秋、重症筋無力症で救急病院一ヶ月入院。


パリ同時多発テロ犠牲者追悼歌のプロジェクトの為、
一般リハビリ病院への転院拒否し、無理やり(経管のまま)退院して二ヶ月。


周囲も驚く程の回復で、既にステージ演奏にも復帰し、更にレコーディングもしています。

その間に「パリ同時多発テロ犠牲者追悼歌/哀しみのバタクラン」は、
新聞5紙が報じ、大きな話題となりました。


今も新たに1紙とテレビ1局が取材中です。


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