いよいよ起動!東京での「シャンソン雑談会」
アースワークの業績が着実な理由
照明・音響会社アースワークとは四半世紀のお付き合い。
元林社長自ら舞監をされたりするので綜合的なことを丸投げする時は、
いつもアースワークにお願いし、
特に教室生徒発表会では細部に渡って依頼した意外のことまで
気をまわしてやって頂いて来ました。
今回の教室生徒発表会は、私の眼の問題で、
よほど誰かに演奏を代わってもらおうかと思ったものの、
プロと違って生徒の場合は、充分覚えきらず間違える箇所があったり、
人によっては緊張してリズムがはやくなってしまったり、
逆に偶数小節の助詞を伸ばし過ぎる人等あるので、
その癖を70名分も他のピアニストに覚えてもらうことは不可。
従って、斜位で五線が十線に見え、加えて眼瞼下垂で視野狭窄、
そこから来る首の極度な突っ張りで顔が正面を向けず、
ひどく俯いた状態でピアノを弾く事に…。
一ヶ月位迷った末、やはり自分で弾く事にしました。
何しろ、生徒にしてみれば一年間一生懸命練習を重ね、
努力し、ようやく迎える花のステージなので、それを考えると無理をしてでも…。
ところがやはり第一部で10人を過ぎた頃から体全体に異変。
それを見て取った元林社長がソデ幕の間に横になれるスペースを作り、
毛布、座布団、枕、飲料をエルムのスタッフと共に用意し、
パテ―ションで出待ちの生徒から見えないようにして下さいました。
本番前に待っている生徒が同様しないようにという、
その配慮に改めてアースワークの業績が
(他の業者は次々と倒産する中にあって)
着実な理由を見た思いです。
思いやりとか優しさとか、そうした気を回し合うことで
人間社会は少しでも良い方向に向くと館長が言っていたことを思い出しました。
シャンソンの新しい風
Lapparitionという造語の新鮮な響きそのものの、
若さ溢れるライブはこれで3回目。
今回も満席で、当然客層も若者中心。
今年の日本アマチュア・シャンソン・コンクール中部大会で受賞した
Beppyこと別府たけし君や、
エルム・シスターズとして歌っている金田一帆南さん、
エルム・ナイト・ショーに出演している森下美沙さんをはじめ、
にぎやかなメンバー。
ゲストの清水美帆さんもいつもと少々違った面持で歌唱。
今までの感覚で聞くと「???」という歌唱もあるが、
次代は常に新しい物を欲し、既成のものを壊しつつ、
大切なものを後世に残すということの繰り返し。
長い目で見守ることで、また違った流れが生まれると期待。
ブリジッドの「A bouche que veux-tu」や
「Mon coeur pour te garder」「Aimer」
「Avenir」「S'il suffisait d'aimer」等も歌われました。
圧巻!クララ・カントーレのライブ
アルゼンチンの歌姫(第二のグラシェラ・スサーナ)クララ・カントーレが
帰国直前にエルム・ライブ。
エルムはアルゼンチンではアストル・ピアソラや
ロス・インディオス・タクナウ等が出た日本唯一のライブとして知られているので、
彼女にとっては夢の舞台とか。
アンコールに「ロス・マレアドス」を私のピアノで歌った後、
更に「オトラ!」の声がかかりノリに乗ったタンゴを披露。
「エル・コンドル・パサ」はKayokoで、
「ノスタルヒアス」はShokoね…と念を押して帰ったので、もしかしたら?
この日、バイオリンを弾いた大久保ナオミさんの演奏も絶賛して「スバラシイ!」と
覚えたての日本語を何度も繰り返していました!
アストロリコ13枚目のCD
驚異的CD録音と言うべきハイ・ペースで
タンゴ楽団アストロリコ四重奏団が13枚目のCDリリース。
エルムというより、この地域で唯一定期ライブをしている
関西のタンゴ楽団アストロリコの名は、
アルゼンチンはもとより世界各国のタンゴ演奏者の中で知られています。
マエストロ門奈紀夫さんは、かつて「黄金の左手」と評されたバンドネオン奏者で、
その演奏はもとより、バンド・リーダーとしての資質は
早川真平さんに次ぐという人も居る程。
アルゼンチンですら困難なオルケスタからコンフントまで、
あらゆるスタイルの編成を可能にし、加えて若い奏者を育て続ける一方、
自身のサウンドのCDを次々とリリース。
今回のCD「Barrio de Tango」は歌入りで、KaZZmaが歌唱。
これがまた阿保郁夫さん以来との声もある本格派で、
ラ・ボカの香りが漂っていて素晴らしい。
彼が歌う「エル・アディオス」は、個人的に思い入れがある曲。
私たちタンゴ・デ・ラ・エスペランサのアルゼンチン公演をした折、
「エル・アディオス」の作者マルハ・パチェコ・ウェルゴ女史の家に招かれ、
演奏しました。
すると彼女が「感激したから私も」と言って、
自作の「エル・アディオス」を弾き語り。
それを観ていて、ご主人は大泣きされていました。
何故なら彼女は、ある年から何故かピタリと演奏を止めてしまい、
現役から身を引きましたが、私たちのお蔭で再びピアノに向かったと、
とても感謝されました。
その時の事を思い出し、
感無量になりつつアストロリコ四重奏団とKaZZmaの「エル・アディオス」を聴きました。
公式テーマ曲不信ジレンマ
大きな催事があると必ずといっていい程公式テーマソングが作られますが、
それがヒットしない=世に残らない。
日本でも例えば大阪万博、札幌オリンピック、愛知万博の
公式曲を知っている人は少ないのでは?
「世界の国からこんにちは」
「虹と雪のバラード」
「ブラボー!ムッシュ・ルモンド」は、
いずれも上記3つの催事の非公式曲ですが今も記憶に残り、
「Mr.サマータイム」の作者=ミッシェル・フューガンの「ブラボー!ムッシュ・ルモンド」は
シャンソン・ルネッサンス曲として、コンサートで歌われたりしています。
そのミッシェル・フューガンはグルノーブル出身で、
グルノーブル冬季オリンピック公式テーマ曲を作りましたがヒットせず、
実は私も知りません。
(彼にどんな曲か聞いてみようとしましたが、やはりやめておきました)
一方、フランシス・レイが作った「白い恋人たち」は、
その記録映画の曲ですが、いまも美しいシャンソンとして歌われています。
定番シャンソン、世代交代の兆し
今までシャンソンの定番と言えば「愛の讃歌」「バラ色の人生」等、E.ピアフの歌声や
「愛しかない時」のJ.ブレル、「ラ・メール」のシャルル・トレネ、
「枯葉」をはじめとするY.モンタン、「ラ・ボエーム」のアズナヴール、
「そして今は」のG.ベコーに
シャンソン創世期頃のダミア、フレール、モーリス・シュヴァリエ等のものであり、
それは世界各国似た傾向にありました。
日本に於いては、突然異変的に越路吹雪の歌で定番シャンソンに
アダモの「雪が降る」「サントワ・マミー」「ろくでなし」等が加わり、
更にサーカスがM.フューガンの「Mr.サマータイム」をヒットさせ、
俗に言う<シャンソン・ルネッサンス>運動の先駆けとなりました。
この運動では「スカーフ」「病の果てに(灰色の途)」「モネの庭」
「ホテル・ノルマンディー」「悦楽のカフェにて」「パリに恋して」
「ブラボー!ムッシュ・ルモンド」等が紹介され広がって来ましたが、
まだ定番と言えるには至っていません。
今、若者の間でのシャンソン定番曲
(といっても「シャンソン」という単語を知らずに歌う人も多いのですが)は、
「オーシャンゼリゼ」と「マイ・ウェイ」で、前者は学校で習うケースも多い上、
TV、CMに良く使われることによります。
映画「最後のマイ・ウェイ」が日本公開された事で
ポップス歌手等が「これは、もともとシャンソンです。知っていますか?」
と説明して歌うケースが増えました。
今、日本で老いも若きも(小学生や幼稚園児も)共通したシャンソンNo.1は
まぎれもなく「オーシャンゼリゼ」です。
注:原曲がどこのものでも仏語詞がつけられヒットしたものをシャンソンと言うので、
オリジナルがイギリスのこの曲も立派なシャンソンです。
「別離」はシャンソン
イタリアではミーナが歌い、
日本でもヒット・ポップスと思われてる「別離」は
異色のシャンソンを数多く残したニーノ・フェレールの作品。
勿論シャンソンで、彼の作品の中では極めてメロディアスで単純な作風。
猟銃自殺をして亡くなったことが惜しまれますが、
破天荒な生き方にかけては、アラン・プレストに負けず劣らず。
それにしても、1960~70年代頃は、シャンソンに限らず
世界中でいつまでも愛される歌の何と多い事!
この曲は、当時日本のサパー・ナイト・クラブ等で
バイブとギターとピアノのユニゾンによる、何とも切ないサウンドで人気曲。
ちなみに、そのスタイルはMJQ(モダン・ジャズ・カルテット)が流行させ、
ジャンルを越えて、人の心の琴線に触れるサウンドが世界に満ちていた…
というと単なるノスタルジーに思われるかも…。
音楽と政治の類似性?
中学一年の時、学友に頭を叩かれ頭右寄りにヒビが入り、
頭部外傷後遺症となって1ヶ月休学。
学校へ行けない代わりにクラスメートが毎日図書館で一冊ずつ本を借りてくれて
1年で365冊突破。
そのお蔭で毎日新聞主催の読書感想文コンクールで全国図書館会議長賞を受賞。
今の天皇が皇太子として賞状を渡されるので、国語の先生と共に上京。
後に大学卒業後、mssのコンサートにご招待した時、感銘する言葉を残されました。
「君たちのやっている事は極めて政治と共通点がある。
“政治は対立する見解の統一”
“音楽は対立する感性の調和”なのだから」
何かある毎に、今も想い出す(担任でもない)中学校教師の、
忘れ難い言葉を思う時、母がいつも口にしていた
「教育は未来に結ぶもの。1年・2年でなく、10年・20年経ってから生きて働く」
という上田薫先生の言葉の正しさを確認。
またも第六感
他人にもよく言われますが、
自分でも思考力と記憶力不足を第六感で生きてきたと思います。
今年1月、パリのオランピア劇場のシャルル・デュモンのリサイタルに招かれて、
母の遺影を胸に抱いたまま大感激した後、
フライトの関係で帰国が一日遅れました。
そのお蔭で「Chez Laurette」の作曲者ローラン・ヴァンサンと
モンマルトルのレストランで食事。
その帰途、「Je Suis Charlie」のフランス始まって以来という
大デモの中に居る自分に驚き。
そして、今回ブログに
「政治と音楽は似ている。政治は対立物の統一、音楽は対立物の調和」
と書いた翌日(時差が有るのでフランスではその直後)
これも近年稀に見ないテロ事件。
新聞社からの取材対応に追われ、即この言葉を伝えました。
何しろ、常宿のすぐ近くがナシオン広場で、バタクラン劇場も近く。
スタッド・ドゥ・フランスはサッカー場ですが、
ジョニーアリディが3日間で30万人を動員したコンサートをしたり、
ジャクリーヌ・ダノが「ベン・ハー」という屋外芝居もしたところ…。
憎しみからは不幸の連鎖しか産まれない
Alliance Francophoneと日仏シャンソン協会の理念のひとつは「文化の共生」で、
愛知万博グローバル・イメージソングにミッシェル・フューガンの
「ブラボー!ムッシュ・ルモンド」が選ばれた理由と同じ。
家庭は世代の理解、地域は隣人との理解、
世界は異文化と多宗教の理解なくしては成立しません。
白か黒か、〇か×かをデジタル的に決めて「ソレ行けドンドン」と
戦争の道をまっしぐらの考え方が今の世界を狂わせています。
仮にインド洋上から爆撃機がイラクと間違えて
イランやインドを爆撃する可能性の有り得ない(のに限りなく近い)のと比べ、
どこかの国からボタンの押し間違いや、
コンピューターシステムの異常で、
ミサイルがそうした国へ誤って撃ち込まれる危険性の方が遥かに不安な世界にあって、
我々の成すべきことは自分と異なった考えを理解し合い、
互いを認め合って共存する不断の努力。
この国の冬は、シャンソン色(?)に染める
以前AFJCレーベルから出した「シャンソン・カラオケ大全集」
(11枚組の豪華セット)が一年で完売し、
その後もそのBEST盤(2枚組)が売れ続けていることから、
遂には日本のメジャーがシャンソンに特化する傾向が出てきました。
年内にはかつて奥田晶子さんが所属したビクターから
「フレンチ・ポップス・デラックス」(5枚組)、
そして同じく年内にはソニーから「日本語でシャンソンを歌いましょう」(2枚組)
が揃って発売予定。
後者は日本の著名歌手たちのオリジナル歌唱と、
そこで使用された超豪華なカラオケとで組み合わされた、かつて例のないもの。
これを契機に、他のメジャー・レコード会社も
次々とシャンソンの企画CDに取り組んで下さることを切望!
ジャン・コクトー他の写真掲載広報紙を差し上げます
毎月「月刊プチ・るたん」に折込配布し、
全国のシャンソン・ファンに愛読されている
日仏シャンソン協会の季刊誌ミニ版「愛と人生の歌=シャンソン」
2015年2月号に掲載したジョルジュ・シャトランの記事
(というより彼の写真の作品)について、幾人からか問合せが入っています。
何と言っても有名なのはジャン・コクトーが特大のグラスでワインを飲んでいる例の写真。
これを音楽家ジョルジュ・シャトランが撮ったとは!
更に更に、モーリス・シュヴァリエが嬉しそうに
若くて美しいジャクリーヌ・ダノと対話している写真は驚き!!
浜崎久美子さんのメジャー・デビュー曲「愛し児へ」を作曲した彼に、
それ以上の才能がある…と言うより、
著名な<シャンソン・フォトグラファー>であったことは、
日本では誰も知らなかった。
LPジャケットもジョニー・アリディ、エルヴェ・ヴィラール、
ニーノ・フェレール等のジャケ写担当だったとは…
能ある鷹は爪を隠すとはこのこと。
この号は、フランスの彼の元へも多量に送る為増刷しておいたので、残部が多少有。
もし、希望される方には彼の日本デビュー作となった
浜﨑久美子さんの「愛し児へ」の楽譜と共に無料で差し上げる事にします。
(郵送料のみ着払い、郵送までにお時間を頂きますのでご了承下さい)
希望の方は⇒info@afjc.net
月刊なごやの連載エッセイ
「愛と人生の歌シャンソンに寄せて」というエッセイを連載して
早16年203回を越えました。
遠方の方の中にも愛読者があり、
シャンソンに関する執筆の号を取り寄せてくださっていますが、
他にもこの様に希望の方があるやも…と、
該当するものはバック・ナンバーをブログに転載することにしました。
カラ―頁と見開き2頁のものも多く、結構貴重な写真が掲載されたりしています。
ちなみに、浜松百選等と共に日本の地域月刊誌の中では格別の格調高い内容のもので、
特に表紙の著名画伯の絵、紙面の中の写真、
そして各協賛スポンサーのCMデザインにまで、
種村桂介社長と、編集スタッフの「こだわり」が感じられます。
かつて地方紙インタビューは考えられなかった美輪明宏さんや
Alliance Francophone会長J.R.ギオン&菅原洋一さんのインタビュー記事は
業界関係者を驚かせました。
石井好子さんとエルム
生前エルムへ聞きに来られた石井さんは、
日本からファンや生徒を連れてパリ公演をすることを嘆き
「フランス人に評価されなきゃダメ」との言葉を残されました。
石井さんは、「エルムに飾ってね」と、その年のクリスマス・プレゼントに
ポインセチアを贈って下さいました。
「貴方たちのパリ公演は、フランス人に好評です。がんばって下さい。」
とのお手紙が添えられていて励まされました。
毎年の<シャンソンの妖精パリ公演>成功は、石井の期待に応えたに
ちがいありません。
その他にも、日本アマチュア・シャンソン・コンクールで
エルムの浜崎久美子さんがグランプリを受賞した時、
「今年は全員の審査員が満票だったわよ。
浜崎さんは可能性があるから、大切に育てなさい」と耳元で話されました。
更に、エルムの記念催事の折には必ず祝辞を書いて下さった石井好子さんですが、
不思議な事に東京のシャンソン歌手の間では、私たちと石井さんは不仲…
との説が流れているそうです。
「親の心、子知らず」とはこのことで、私たちのシャンソン活性化運動に
拍手を送り続けて亡くなられた石井好子さんのご冥福を心より、お祈りいたします。
月刊なごや 2010年9月号 愛と人生の歌シャンソンに寄せて(加藤修滋エッセイ)より
芦野宏さんとのお別れ
送ってくださいました。
一部はエルムに、一部は自宅に…。
いつもそうした気配りをなさる方でした。
お目にかかると、いつも優しく声をかけて下さいました。
「加藤さんのなさっている活動は、日本のシャンソン活性化に
不可欠なものですから、ぜひがんばってください。」…。
エルム20周年記念祝賀会に際し、石井好子さんと揃って祝辞を寄せられたことにより、
「日本シャンソン協会と日仏シャンソン協会は仲が悪い」という風評が打ち消されました。
CDやビデオを送って下さり、感想を申し上げると真剣に耳を傾けられるその姿勢に
感銘を受けていました。
私財を投じて、渋川に日本シャンソン館を創られましたが、
根っからのシャンソン好きで、最後まで現役歌手を貫かれました。
ご自身で描かれたバラの絵を集めて作られたカレンダーが、
私たちへの遺品になろうとは、夢にも思いませんでした。
突然の訃報に際し、帝国ホテルでのお別れ会に参列しながら
J.ブレルの「ジョジョ」を思い出しました。
「…大切な人が早く死んで、くだらない奴ばかりが生き残っている…」
後に残された私たちが、芦野さんのように「大切な人」になれる日は来るのでしょうか?
月刊なごや 2012年4月号 愛と人生の歌シャンソンに寄せて(加藤修滋エッセイ)より
ムッシュとアズナヴール
”貴方が好きで、好きで…”と繰り返し歌う「ジュテーム・ア・ラ・フォリ」は、
フランス国営テレビが”理想のシャンソン空間”と絶賛した、
エルムのテーマ・ソングです。
その作詞者ムッシュこと、矢田部道一氏ご逝去の報に接し、言葉を失いました。
日本の歌手に最も愛されたシャンソンの詞は、ムッシュの作品でしょう。
ご自身のシャンソニエ「シャンパーニュ」で毎晩、
渋い歌を聞かせてくれた彼は、博愛主義の人でした。
4月21日、宮崎の甲斐和代CD録音に際し、
彼女が最も気に入っていた曲のある方の詞が使用拒絶に遭って途方に暮れた時、
入院中のムッシュに”貴方の歌詞で歌わせて”とお願いしたところ
「了解」と快諾して下さったのが、私にとって最後の言葉でした。
シャルル・アズナヴールは、最新曲「ジュ・ヴォヤージュ」の楽譜を無料で
雑誌掲載許可してくれました。
更に、エルム20周年のプレゼントとしてCD録音許可まで!
エルム・オープン時、ムッシュも善意で詞を提供して下さいました。
二人に共通するのは、真に音楽を愛する者への愛情です。
毎晩エルムで、ムッシュの詞によるテーマ・ソング
「ジュテーム・ア・ラ・フォリ」が歌われる限り、
ムッシュは永遠に私たちと観客の心の中で生き続けるでしょう。合掌。
月刊なごや 2008年7月号 愛と人生の歌シャンソンに寄せて(加藤修滋エッセイ)より
アディオス!マリキータ
(日本初の女性ディスクジョッキー)
その美しい容姿とさわやかな語り口調で、多くの人に愛されたマリキータこと、
帆足まり子さんが亡くなりました。
その人生は、ラテン諸国(特にメキシコ)の音楽を
日本に紹介する為に捧げられました。
「フィーリングス」を日本に紹介し、「アドロ」のA.マンサネーロや
「ランバダ」のロス・カルカスはじめ、
多くの曲やアーティストが彼女の手で日本に知らされました。
私は、彼女からたくさんのことを学びました。
発声の良い人ほどエコーがよくかかることや
腹筋によって感情を越えに移入できること…、
そして…、何より歌を通じて全ての人がアミーゴ(友達)になれるという、
素晴らしい事実。
”音楽で世界中の人が友達に慣れたら、争い何て起きないわよね”
と言うマリキータは、真の平和主義者です。
葬儀の日、暗い空に流れていたマリアッチの歌声がとぎれ
出棺のその時響いた”アディオス!マリキータ!”という叫び声に、
私は生まれて初めて”アディオス”というスペイン語の本当の意味を知りました。
マリキータの歌で、”感動する”ことを覚えた幸せな人もいます。
でも、決して永いとは言えない人生を疾風のように生き、
人々の心の中でずっと生き続ける偉業を達成できたマリキータは、
一番幸せなアーティストです。…合掌。
月刊なごや 2004年3月号 愛と人生の歌シャンソンに寄せて(加藤修滋エッセイ)より
日本シャンソン界の現状
フランス本国に次いでシャンソンの盛んな日本では、
シャンソン組織も活発に活動。
何と言っても老舗の「日本シャンソン協会」
フランスとの交流に特化している「日仏シャンソン協会」
神戸から全国に組織拡大した「KAKEHASHI」
新しく、かいやま由起さんの熱意でできた「日本シャンソン・カンツォーネ振興協会」
シャンソン・コンクール中心の活動をする団体も多くなりました。
「ラマンダ」のようにCDや楽譜等で特色のある所もありますが、
忘れてはならないのが、ご存知バルバラのママ・千葉美月さん。
小さな体で超エネルギッシュ!
かつて、日仏シャンソン協会を通じて、シャンソン大使
「ヴェルムーラン」「マリ=ポール・ベル」の東京公演を
受け入れて下さった恩人。
ところがその後、ご自身でシャルル・デュモン、
ついにはパトリシア・カースまでゲストに迎える「ヌーヴォー巴里祭」を開催。
周囲をアッと言わせています。
そのプロデュース力はシャンソン業界だけにしておくのはもったいないほど。
来年も、まもなく世に出回るチラシに大拍手を贈る人が続出の企画決定!
楽しみですヨ!
9.13パリ同時テロに思う
私ごときが個人的にテロについて論ずるのはおこがましいかもしれませんが、
一個人の集合体が世界である以上、一人一人が考えを述べ合うことは必要。
世に100%善人と100%悪人が居るわけではなく、人の心の中の正義と邪悪の比率が
時と場合で変わって表出す限り、語り合い理解し合う事によって
多民族・多宗教・多文化の人々が共存することが、繰り返し討論され、
書物にされ…て来ました。
平和的に問題解決をすることを簡単にあっさりと諦め、
対立する物を抹殺して、全てをリセットする考え方と方法は、
最近のコンピューター世界が将来抱える大きな問題だと
幾人もの人が何十年も前に指摘していました。
〇か×かを組み合わせ、物事を組み立てる事の利便さに、
人間本来の「あいまいさ」や「とまどい」が押しやられた結果です。
音楽はイメージの産物です。
人々は異なったイメージを互いに共有しつつ、
同じ空間に存在できるからこそ、
音楽は国境と言葉の違いを越えて人の心を結び合うと言われて来ました。
歌は、世界中どこでも美しいメロディーと美しい言葉で綴られています。
だからこそ、今、歌の役割が大切なのです。
何十年、いいえどれだけ長くかかるか分かりませんが、
その歌の力で、人の心を結び続ける事が不可欠です。
モーリス・ファノンの言葉
「シャンソンの三大要素は、祈り・願い・叫び」と、
それにジャクリーヌ・ダノが付け加えた
「やさしさ」を私たちは一層追及して歌い続けます。