第19回日仏シャンソン協会パリ公演は、
3日連続満席という成果以外に思いがけない成果をもたらしました。
3日間の公演を通じて、多くの新しいアーティストとのつながりが出来ました。
日本で言えば、御三家に匹敵する往年の青春スター歌手=アラン・トゥーバンや、
ロック・オペラ「スター・マニア」のメンバー=ファビエンヌ・チボー等と
知り合うことができ、楽曲提供もしてもらえる様子です。
文化情報誌「パリスコープ」には、
パリでの2日間のコンサートが両方とも告知掲載され、
それを見て聴きに来られた方も居ました。
更に、エルムと姉妹提携を結んでいるパリの「ル・コネッターブル」での
ライブを聴いたヴァレリー・ミシュレーは、
伴奏をミッシェル・グラスコがしている歌手と分かり、
いつか一緒に来日…という事態にも繋がりそうです。
色々と想定外の成果があったパリ公演でした。
パリ公演の想定外成果
気配りの効果
パリのユーロペアン劇場でのコンサートの折、
リハーサルが終わったら音響のオペレーターが
「まだ時間あるよ」と声をかけてくれました。
「とっても歌いやすい音を創ってくれたお礼に、
貴方たちのコーヒー・タイムをプレゼント」と軽く言ったら、
まじめな顔をして「我々の事を考えてくれる貴方たちは、
その行為だけで偉大なアーティストだ」と賞讃の言葉。
エルムの顧問をしていた、
元名古屋市民会館の池田正行さんが教えてくれたこと
<現場の人たちを大切に>が活かされました。
池田さんは、バーニングというファッション・ショーの企画会社の社長時代にも、
「リハーサルは自分の為じゃなく、
音響・照明・舞台のスタッフの為にするもの」と教えて下さいました。
全ての人が仕事をし易いようにという気配りが、
素晴らしいステージを創出することに繋がると再認識。
エルムXmasライブ初日から大入り
(だけでなく、ライブ・ハウスはどこでも)
客席はまばらで、閑古鳥が鳴いている今日この頃。
エルムもご他聞にもれず
(全盛期の12月は、1日平均55名=毎日満席という年もあった!)
淋しい客席の日が増えました。
でも、今年は初日から大入り満員で、幸先の良いスタートでホッとしています。
「瑠璃&長濱和美」というレギュラーではない新人同士のジョイント・ライブで、
初めてエルムに来店される方も多く、裏方は大変でも遣り甲斐有。
昔と比べると、エルムはこの数年間はご常連のお客様に支えて頂いていて、
新しいお客様開拓が今一つ。
来年は、新しいシャンソン・ファン、
若いシャンソン・ファン創出の為に何か考えなくては…との思い。
ジルとの再会
映画でエディット・ピアフの歌の吹き替えをした
ジル・エグロをプロデュースしたジル・マルサーラから、
来日するので、会いたいとのオファー。
今回は、ニルダ・フェルナンデスを伴って、
プロモーション・ライブを日仏会館ブラッスリーで行う為の来日。
他にもうひとつ案件有。
既にネットで観て
「これは、日本のシャンソン・ファンには大好評間違いない!」
と思っていたシャンソン・ショー「Paris」は、
彼の制作だったと判明!
フランスとメキシコで成功を収め、
次は日本へという話があり、
もし決まれば、全面的バック・アップをすると約束。
(とは言うものの、歌手3人、バンド4名、ダンサー2名、スタッフ…
と大人数なので、来日が実現するかどうか不明)
メールの洪水
パリ公演以来、連日フランスからのメール殺到。
そうした中から、親しいアーティストに関する意外な事実が多数判明。
余りにも情報が多すぎて、一度には書ききれないので順次気が向いた時に公表。
それ以外に、
「来日したい」
「自分の作品を日本語でカヴァーしてCD化して欲しい」
と言った類の売り込みも多数。
迷惑メールの同類かと思っていい加減に読み飛ばしたり、
日本語訳すらもしてもらわずにいると、案外大切な事項があったり…。
パリ公演の余波として、
こうした多くの情報が寄せられるようになったことは、
喜ぶべき事。
緊急告知!
衆議選の残念な影響
12月14日史上最低投票率の衆議院の結果については
賛否両論あってしかるべきでも、
その影響でNHKラジオ午後の生放送が45分も短縮されてしまったのは残念。
山田まりやさん&なぎら健壱さんがパーソナリティーをする
「午後のまりやーじゅ」は、12月15日放送分がシャンソン特集。
交通途絶があるといけないということで、
前泊して当日12時過ぎにNHKスタジオ入りしましたが、
安部総理の会見の為、番組30分遅れ(ということは、30分カット)で
14時35分開始。
更に放送中に、今度は海江田民主党代表の会見が
15時過ぎからあるということで15分更に短縮。
結果的にON AIR予定の5人のCDは全てカットで、
スタジオからの生歌唱をした浜崎久美子さんの歌が二番まで流れたのみ!
スタジオ内で政治家の会見を片方の耳で聞きながら、
パーソナリティの二人及びアナウンサーの道谷眞平さんと雑談。
その中で、なぎらさんがシャンソンに詳しいこととと、
日本の音楽シーンの問題点で意見がピタリと一致して、少々興奮気味に本番トーク。
放送を聴いた人から浜崎さんのメジャーデビューCD「愛し児へ」注文が
日仏シャンソン協会へ入ったり、
音信不通だった知人から電話があったり、電波の力を再確認。
名古屋からシャンソンの新しい波
最近は東京でも若い人たちが数多く誕生。
この1~2年、名古屋より東京の若いシャンソン歌手の活躍が目立つようになっています。
そんな流れの中、名古屋でシャンソン歌手や伴奏者ではない人たちによる、
日仏シャンソン協会×日本軽音楽連盟中部支部Chanson Xmas Live
と銘打たれた催事が開かれました。
「カフェ・コンセール・エルム」の営業日ではない日曜日に、
出演者17名が2時間半に渡って熱演。
ゲストを除いた出演者の平均年齢は23歳(21歳が4人も居る!)で、
声楽出身やポップスを歌う学生OB,OG中心なので、
全28曲のうちシャンソンは16曲。
勿論客席は若い人たちで満席。
それでも、当初予想していなかったエルムの常連シャンソン・ファンの方も来場され
「一生懸命さが新鮮」「よく練習したわね」「おしゃべりも上手」
…と温かいお言葉。
ここで、ちょっと待て!
…ということは、エルムのご常連様がいつも聴いて下さっている歌手たちは
「一生懸命さが今一つ?」「練習不足」「おしゃべりが良くない」という事?!
…と突っ込みたくなるのは少々考えすぎ?
エルムの前身「軽音楽の集いmss」時代のモットー「ひたむきSOUND」に
今一度立ち返ってみる必要がありそう。
50年前、日本に名だたる学生バンドが名古屋に続出。
ラテン・コーラス「トリオ・モレーノ」、
シャンソン・バンド「アンサンブル・ウーテルプ」、
タンゴ・コンフント「タンゴ・デ・ラ・エスペランサ」、
ジャズ・バンド「スィンギング・オールスターズ」「トゥインクリング・スターズ」等々。
その出身者たちがmss小劇場を作り、
カフェ・コンセール・エルムに至った歴史を振り返りつつ…。
下呂の正月には雪が似合う
毎年、元旦は下呂の会員制ホテル
「ダイヤモンドリゾート下呂温泉ソサエティ」
でシャンソン・ライブの仕事はじめ。
かつては毎年、橋本奈央子さんと一緒だったけれど、
急逝してからは青山桂子さんや岡山加代子さんと。
今年は豪雪予想だったので、
交通途絶を心配して大晦日の夜に前乗りしたものの、
全く雪が降っていないどころか、数日前の雪も雨で溶けていました。
元旦の朝は、雪が降って5cm位積もったけれど、
昼には陽が射して過ごしやすいお正月。
やっぱり、下呂は雪がないと
(生活に支障をきたす程の大雪は困りますが)
イメージ的に少々…。
驚きのお年玉
今年は、シャルル・アズナヴールやミッシェル・フューガン等
フランスからの年賀状が少なく、少々淋しい思いでした。
ところが、とんでもないお年玉!のような知らせが届きました。
「Chez Laurette~懐かしの店~」の作者ローラン・ヴァンサンから
「1日10日にあなたがパリに来るのなら、11日にパリで会おう」との夢のような連絡。
彼の住んでいる所から、パリまでは列車で6時間なので、
往復12時間かけて会いに来てくれる!
しかも、前日にパリへ来て泊まるとのこと。
母、加藤ハツ館長の為に手書きの楽譜をプレゼントしてくれた
フランス・シャンソン界の大作曲家の、
この行為に何をもって応えればいいのか?
感謝の仕様が分からない。
母へのXmasプレゼント
フランス・シャンソン界の偉大な作曲家として称賛される
ローラン・ヴァンサンから、亡くなった母(加藤ハツ館長)への
プレゼントが届きました。
生前母が好きだった「Chez Laurette~懐かしの店~」は彼の作品。
その手書きの楽譜に「加藤ハツさんに捧ぐ」と書き入れて贈ってくれたので、
感激を通り越して、驚きで胸が苦しくなるほど。
手紙には「今朝、ハツさんの為に書き終えました」と書いてあり、
フランスの作曲家がよく使うポール・ブーシェの五線紙の裏にまで
筆圧でインクが滲んでいました。
R.ヴァンサンは、マルセル・アモン、ダリダ、ジャクリーヌ・ダノに作品を提供し、
中でもヒットした「Chez Laurette~懐かしの店~」は
ミッシェル・デルペッシュをスター歌手にしたことで知られています。
R.ヴァンサンはシャンソンを通じての知人で、一度も会ったことがないのに、
心と心は結ばれていたのだと感激しました。
プチ・るたん1月号に記事を折込で書いています。ぜひご購読下さい。
北海道新聞が報じた日仏シャンソン協会パリ公演
北海道新聞は、パリ支局がヨーロッパ各国の取材を
意欲的に行ってきたことが業界で話題。
その北海道新聞には、「カルチャーPlus+」という頁があり、
その中の「パリ通信」を林瑞絵さんが執筆。
12月5日の紙面に「日仏交流コンサート/シャルル・デュモン85歳の艶」として
C.デュモンと日本代表歌手16人による
ユーロペアン劇場でのコンサートのレポート掲載。
写真を4点も使った渾身の記事で、実によくまとめられ、
読者が「そうだったのか…意外!」と思う題材も散りばめていて興味深く読める。
シャルル・デュモンからの超ビッグなお年玉
シャルル・デュモンと言えば「水に流して」「私の神様」等、
エディット・ピアフのヒット曲作者として知られるビッグ・スター。
そして、今現在85歳を越えたフランス・シャンソン界の大御所として
ジュリエット・グレコ、シャルル・アズナヴールと共に
世界的に知られるアーティスト。
そのシャルル・デュモンから、年末に超ビッグなプレゼント。
「お母さんの為に、私の作品=モン・デュー(邦題:私の神様)の詞を朗読して
録音したので、1月10日にオランピア劇場の楽屋へ来て下さい。手渡しします」!!!
1月10日(土)オランピア劇場で開かれる彼のリサイタルへの
ご招待だけでも大変名誉なことなのに、
加藤ハツ館長へのオマージュとしてナレーションと弔辞を録音して
プレゼントしてもらえるとは…。
余りにも大きなお年玉に驚いています。
「Chez Laurette~懐かしの店~」の作曲者=ローラン・ヴァンサンからの自筆の楽譜や、
その楽曲をアコルディナ演奏したJ.P.メナジェが仏語弔辞と共に
演奏をレコーディングしてプレゼントしてくれたこと…。
次々と起こる、有り得ないような出来事を見る度、
母・加藤ハツ館長の生き様が、
海を越えて人々の心に残るものなのだと感無量です。
シャルル・デュモンからマスター・テープを受け取ったら即帰国し、
昨年11月3日ユーロペアン劇場でのフィナーレ
(加藤ハツ追悼曲とすることを、C.デュモンが提案)
「モン・デュー」を彼と日本代表歌手16名でコーラスした
感動的なシーンを思い出しつつ、バック・コーラスのレコーディングに入ります。
ローラン・ヴァンサンとの会食
パリ来訪は40回を越えていても、知らない劇場やギャラリー、
美味なレストランの何と多い事。
それでもパリ在勤のビジネスマンの事を思えば、
随分とフランス人好みの場所は覚えてきたと自負。
でも、モンマルトルにとてもおしゃれでおいしいレストランがあったのには驚きで、
しかも朝7時~深夜まで営業。
そこは、今回面会したローラン・ヴァンサンおススメ店「マスコット」で、
店内ではオルゴール弾きの演奏や、
お客様たちと古い時代のシャンソンを大合唱する時間有。
でも奥のスペースは、とても落ち着いた空間で、
正面入り口近くのトイレとは別に、贅沢な造りのトイレがあるのにはビックリ。
この店を選んだR.ヴァンサンの家族の一員如く
マルチーズの「DooDoo」にちなんで店名の「マスコット」が気に入ったことと、
料理がとてもおいしいからとのこと。
知的な奥様は、ビジネス・パートナーでもあり、
J.ダノやJ.P.メナジェを起用してのコンサートも企画。
かつてはレストランもやっていて、
料理上手だとローランが目を細めていました。
彼もおばあちゃん子とかで、私と共通する感性は、
そんなところにもあるのかも…と言って笑っていました。
クィンシー・ジョーンズはじめ世界の多くのアーティストに
楽曲提供をしているビッグ・アーティストとの昼食会は、
3時間近くになり、楽しいひとときでした。
AF291機内にて
久しぶりにエールフランス機で渡仏。
機内食も口に合い、CAのチーム・ワークも良好。
特にPremium Economy Class Chef De Cabine (Purser)の
気の利いた親切な乗客対応は、見ていて気分が良い。
SYLVAIN BOUUGETという名前の彼は、以前ダンサーだったそうで
(動きが機敏なのはそのせい?)人懐っこい表情も舞台人のそれ?
女性客が通路で転倒した時の女性CAたちの連携プレーも見事。
いつものように機内消灯後、手元燈をつけて原稿書きを始めたところ
「疲れに良いよ」とアイスクリーム・バーを持って来てくれたSYLVINが
「仕事でフランス?」と尋ねるので、渡仏目的をカトコトで伝え、
月刊なごやに書いた記事の仏訳を見せたら、ミッシェル・デルペッシュの写真を見つけ
「ココ(と喉を指して)の病気で歌えなくなってかわいそう」と言うので、
フランス人の間での知名度を再認識。
傍にいた他のCAたちに「CHEZ LAURETTE」を口ずさんで説明をし、
ローラン・ヴァンサンとミッシェル・デルペッシュが一緒に、
良いシャンソンをたくさん作っているというので、またまたビックリ!
日本では、シャンソン歌手ですら、
ローラン・ヴァンサンの名前を知る人は僅かなのですが…。
ギャレで温かいコーン・ポタージュスープを飲ませてもらっているところへ、
もみじ饅頭を出してくれたのにも感激。
機内サービスのスナック菓子はイタリア製で、
そのワールド・ワイドな感覚はグルメ大国フランスならではのこと…。
デルフィーヌからのメール(日本語訳)
G.シャトランからのメール(日本語訳)
素晴らしいソワレをありがとう。
魅力的な才能が集まったフェスティバルに
私の妻ブランカもとても嬉しかったようです。
彼女には、あなたの日仏シャンソン協会が
演奏&歌唱の才能や美しさを持つ人を多く擁して
シャンソンの発展に寄与している事を話してきました。
クミコ(注:浜崎久美子)の「愛し児へ」の歌唱は本当に素晴らしかった!
デュモンとの出会いにも感動しました。
あなたやエルムのみなさんに、多大なブラボー!を贈ります。
同じ人間として、愛し分かち合う気持ちを共有し同じ地球に生きる、
そんな我々をつないでくれた音楽と言うものに感謝します。
我々を結んだこの音楽は、地球上の人々が愛し合い、
永久的な愛と友情を分かち合う助けになるでしょう。
貴方が実践しているように、芸術だけが国境を忘れさせてくれるのです。
素晴らしいコンサートにブランカも大感激しています。
R.ヴァンサンからのメール(日本語訳)
貴方のパリ公演が大成功して嬉しいです。
ジャクリーヌ・ダノは1961年以来の友人で、
私はデビュー時とここ数年、彼女の伴奏、作曲、アレンジをしています。
更に、マルセル・アモンの名前も見つけて嬉しいです。
数々の国際的成功の間中、私は彼に曲を書きました。
日仏シャンソン協会の日本人歌手が拍手を受けた事を評価します。
なぜなら数か月前から取り組んでいる
「ミュージカル・ロレット」のプロジェクトのために、
日本の歌手たちと出会う事を夢見ていたからです。
おそらく貴方と再度来年会ってそのことを話すでしょう。
才能溢れるジャン・ピエールの日本でのアコーディオン演奏を聴いてみたいです。
彼は偉大な演奏家で、彼と共に今まで数々のCDやコンサートを共有してきました。
とても素晴らしく演奏された、貴方のお母様が好んだ、
このシャンソンを聴いた人々の感情を想像しています。
歴史に残る集会の証人?
名前に反して小ざっぱりしたプチ・ホテル。
経営者もスタッフも家族的で過去30回以上利用しても、
事件や問題の全くない安全な所。場所もナシオン近くで交通の便も良い。
ところが、テロの関係で道路が封鎖され、エトワールからRERで行って歩いて到着。
その後、ナシオンから徒歩五分程にあるスーパーでテロが起きたので、
フランスのテレビは朝から晩まで追悼番組。
1月11日にはフランスで370万人のデモがあり、
その中心となったのがいつものリパブリックから出発して
ナシオン広場が終着点というコース。
いつもは静かなこの場所に、150万人が行進し、
巨大なモニュメント風のオブジェを高く掲げた行進がホテルの前を通ってナシオンへ。
その時、私はナシオンからホテルへ行こうとしてデモに遭遇。
デモ行進に加わってナシオン広場へ逆戻り。
テレビ局のインタビュアーにマイクを向けられそうになって、
あわてて避けたり、周囲の人からペンを片手に持って掲げるよう促されたり。
「パリ解放以来という世紀の出来事に立ち会った人は殆ど居ないから
貴重な体験です」とホテルのオーナー。
まるでオリンピックのように、フランス国旗だけでなく
アルゼンチン・ブラジル・トルコ等、世界中の国旗が掲げられる中、
日本人は全く行進をしていないのは何となく不自然。
オランド仏大統領やメルケル独首相はじめ、各国要人が並んで行進し、
ペンや鉛筆を頭に飾ったりした人々が「ペンは武器より強し」をアピールしたり…。
そもそも、その朝デモ取材準備のメディアの装備に驚かされ、
巨大なクレーンで上空から全体を写すシステムにビックリ。
加えて、デモのある時はメトロは無料で乗り放題だったのにもビックリ!
(12月31日も無料とのことで、デモが生活の一部となっている様子)
新年フランス音楽事情
デュモンと会う為にオランピアへ出かけるのと、
「ロレットの店で」という訳のあるシャンソンの作曲家:ローラン・ヴァンサンの面会
(プラス「シャルリ・エブド」支援デモ)以外はホテルでテレビを見ている時間有。
そこでショックだったのは、全く知らない歌手のオンパレードで、
更に「シャンソン・フランセーズ・ヴァリエテ・リヴゴーシュ」の雰囲気が全く消滅。
それでもChanson Internationales 2014のトップ5に
パトリック・ブリュエルが入っていて胸をなで下しました。
トップ2のSIAは初めて聴いたけれど、それなりの好みの範囲に入り、
アルバム部門のジョニー・アリディーも健在でランクイン。
ミレーヌ・ファルメールがコンサート部門でランクインしたのも当然だったけれど、
「サムライ」をテーマにしたダンスとコメントがあるのに、
どう見ても中国風で、振り付けもヌンチャクを振り回すイメージで違和感有。
フランスでは、よくあるパターンで、
以前ナターシャ・St・ピエールCDブックレットでも
そんな中国風日本情景(?)写真があったけれど、
このところPVを中国ロケで撮ったりしている(経費の面も有?)M.ファルメールなので
驚くこともなさそう。