コロナ禍は、古い資料を見直す時間を与えてくれました。
アストル・ピアソラがmss小劇場を訪れた時の資料。
SADAIC会長ロベルト・パンセーラが語ってくれたアストルの苦悩。
グラシェラ・スサーナが語ってくれたアストルとの絆。
特に1960・70年代の楽団編成の変遼と演奏スタイルの模索。
今まで気がつかなかったけれど、
フランスの録音とイタリア録音のコンセプトの違い…。
一番大切なことは、アストルが自身の音楽を
「タンゴ」と表記せず「ブエノスアイレスの今日の音楽」という
表現にこだわったこと。
結局音楽的に悩んだ結果、ブエノスアイレスの音楽家たち、
とりわけ五重奏団に立ち戻ったこと…。
(タンゲリラのミケランジェロで長期契約した五重奏団が
最高のものであった)
彼の音楽には人生の哲学を感じるが、
それは「あなたが一番評価する歌手は?」という問いに
ラウル・ラヴィエやアメリータ・バルタールあるいは
ロベルト・ゴジェネーチェ・・・・・ではなく
シャルル・アズナヴールと答えたことにつながる。
(その時は驚いたけれど、今にして思えば
シャルルが自らの音楽スタイルを貫いたことも
評価の対象だったのかも知れない)