人生の中で、大切にしているメッセージのひとつは、
アストル・ピアソラからのもの。
タンゴ・デ・ラ・エスペランサのLPに寄せられた
そのメッセージは、
当時「本物?」「あのピアソラが、そんなメッセージを書くとは考えられない」
と喧々諤々でした。
今、振り返って考えてみれば
アルゼンチン国内で「あれはタンゴではない」
「ピアソラはタンゴを冒涜した」と非難の渦だった時に
海の向こうの日本で、いち早く自分の音楽を賞讃した
若者たち(当時、我々はまだ青年!)が居たことが
嬉しかったのだと分かりました。
五重奏団→八重奏団→九重奏団→海外アーティストの共演→
‥‥・様々なスタイルを模索しつつ、最後には五重奏団に行き着いた
彼の音楽的苦悩のターニング・ポイントに
私たちの実験的ステージが重なる部分があったようです。
アストルの言葉で忘れられないのは…
①私の音楽はタンゴではなく「ブエノスアイレスの今日の音楽」
②君たちは私より先を行っている。私はリード楽器しか使っていない。
(例:バリトン・サックスのジュリー・マリガン)
君の「タンガータ」ではブラスも使っているからね
(トランペット、トロンボーンも使用)
③君たちがキューを出さずに演奏していることが何より素晴らしい
(音楽は視覚や聴覚ではなく空間の芸術だから)
④海外の多くの人が「リベル・タンゴ」を支持してくれるが、あれは駄作
(同じLPの「アディオス・ノニーノ」は父へのレクイエムでなく習作にすぎない)
特に④が気になって1969年五重奏団と1974年イタリア録音を
聴き比べてみたら、その音楽観の違いに唖然!
(イタリア録音は、スタジオ・ミュージシャンとの共演なので
心を交わせた五重奏団のアンサンブルには程遠い)
更に、日本では話題とならなかった
オルへ・ルイス・ボルヘス詞による「エル・タンゴ」を聴いて、
アストルの交響曲的感性に驚くとともに
インテンポでドラムが音楽の土台を創ることが
彼の本心では好ましくなかったに違いないと思い至りました。
エドムンド・リヴューロの歌とルイス・メディナ・カストロの
朗読を組み合わせたその音楽感覚はアストルならではのもの。