$ 0 0 私の母・加藤ハツ館長(シャルル・アズナヴールは“日本のシャンソンの母”と呼びました)が, 亡くなった年にパリへ行った時「ジョン・シドニー・キャロン」の新しいお店に行きました。 その時の感動的なシーンは私の人生の忘れ得ぬ1頁です。 当時の「月刊なごや」に拙文を載せましたので、ここに再掲します。