---『PONT NEUF』(シャンソン情報季刊誌2004年夏号)より---
去る5月3日、パリ郊外のSACEM(フランス作詞家作曲家
楽譜出版社協会)本部に於いて、私に対する特別功労賞の
メダル授与式が行われました。
SACEMは、日本のJASRACと同じ音楽著作権団体で、
その本部VIPルーム(ジョルジュ・オリーの間)にフランス音楽業界
の著名人60人が集まって、祝賀パーティーも開かれました。
シャルル・アズナヴール、ジャック・ドマルニ、モーリス・ファノン、
クロード・ルメール等の偉大なるシャンソンや、パトリシア・カース、
パトリック・ブリュエル、フランソワ・フェルドマン等の新しいシャンソンを、
原詞に忠実な訳詞をつけて日本に紹介した功績に対して与えられたものです。
もちろん、日本人訳詞家として最初の栄誉だそうです。(同様の賞を1982年に、
アルゼンチン音楽著作権・演奏者教会=SADAICからもいただいて、
2ヶ国からの受賞は日本人初)。
とりわけ、愛知万博グローバルイメージソング「ブラボー!ムッシュ・ル・モンド」
を世界各国の言葉とリズムで普及させたことが賞の第1理由になっていたので、
その作者、ピエール・ドラノエとミッシェル・フューガンをはじめ、ジャック・ドマルニ
クロード・ルメール、ミッシェル・ジュールダン(人気作詞家)、フランク・トマ(「サヨナラ」
の作者)等、ビッグなアーティストが数多く集まってくれました。
私にしてみれば、通常、各々のマネージャーを通じて個々に面会することですら
困難な人たちが、一同に会して、逆に私を迎えてくれたのですから、
天にも昇る心地でした。
でも、本心を言えば、何より嬉しかったのは、その前日の出来事です。
80才を記念するシャルル・アズナヴールのリサイタル(約1ヶ月、10万人を集めて)
会場、パレ・デ・コングレの楽屋に招かれ、5月2日の夜、
開演前の忙しい中、30分もアズナヴールと話しができたのです。
おまけに、“今、まだ化粧前なので(注・ジョーク)終演後に一緒に写真を撮ろう。
渡したいものもあるし…”と言い、
“コンサートの前と後の両方会う日本人は、君が2人目。
最初は、アシハラ・エイリョウ…”と言ってくれました。
素晴らしいコンサートの興奮さめやらぬ中、楽屋口へ行くと、
多くのファンが待っていました。
かき分けて入ろうか、どうしようか?と考えていたら、“ムッシュ、カトウ”という
声。ベースのトニー・ボンフィスでした。レーモン・ルフェーブル・オーケストラの
メンバーとして来日した時に会っただけなのに、覚えていてくれたのです。
楽屋へ入ると、“明日は、シュウジにとても立派な賞が与えられるが、
私はこうしてリサイタルをしているので行けない。かわりに、祝辞を書く”
と言って、眼の前で、メッセージを書いてくれました。
そして、“化粧してなくても、さほど変わらなかったかな?”と笑いながら、
写真も一緒に撮ってくれました。私にとっては、何よりのプレゼントで、
5月3日SACEM会場にて、そのメッセージをジャクリーヌ・ダノが代読してくれ、
大きな拍手がありました。
アズナヴールが、一番嬉しそうな顔をしたのは、かつて、アストル・ピアソラが、
私たちのライヴ・ハウス「カフェ・コンセール・エルム」へ来た時に残した言葉を
伝えた時でした。
“アズナヴールのシャンソンと我々の言葉(注・当時、異端視されていた
ピアソラタンゴ)との共通点は、躍動するリズムと哀愁のメロディー。
歌に込められた主張、とりわけ「愛」”
日仏シャンソン協会日本支局長 加藤修滋