久し振りにグラシェラ・スサーナと会食。
思えば彼女が18歳の時に会って以来、日本でもアルゼンチンでも一緒に共演した仲。
1973年に名古屋で彼女の初リサイタルを企画開催した後、
北海道の有線で火が付き、日本で最も成功した外国人歌手となったスサーナ。
でも、姉夫婦が自動車事故で亡くなってから、その二人の子どもと、
太郎、花子と名付けた自分の二人の子ども、
お母さんの面倒を見ながらの人生は平たんなものではなく、
更に近年は家が火事で焼けたり、眼を悪くしたり…。
でも、そんな彼女を支えたのは歌でした。
エルム20周年記念CDには、
私のオリジナル曲2曲をスペイン語で収録した想い出話にも花が咲きました。
加藤ハツ館長の形見分けの扇子を握りしめて涙しているのを見て、
言葉を越え心の中で繋がり合えていることを実感しました。
思えば彼女が18歳の時に会って以来、日本でもアルゼンチンでも一緒に共演した仲。
1973年に名古屋で彼女の初リサイタルを企画開催した後、
北海道の有線で火が付き、日本で最も成功した外国人歌手となったスサーナ。
でも、姉夫婦が自動車事故で亡くなってから、その二人の子どもと、
太郎、花子と名付けた自分の二人の子ども、
お母さんの面倒を見ながらの人生は平たんなものではなく、
更に近年は家が火事で焼けたり、眼を悪くしたり…。
でも、そんな彼女を支えたのは歌でした。
エルム20周年記念CDには、
私のオリジナル曲2曲をスペイン語で収録した想い出話にも花が咲きました。
加藤ハツ館長の形見分けの扇子を握りしめて涙しているのを見て、
言葉を越え心の中で繋がり合えていることを実感しました。