人前で最初にグランド・ピアノを弾いたのはKAWAIビルにあった「レッド・ピアノ」。
ご褒美にママさんがコーラ1杯を下さった事が嬉しいかったなァ。近くにあった「ヅカ」ではお願いしても、触らせてもらえませんでした。
1番ドキドキしながら弾いたのは、カゴメビルの「シーガル」(カモメと言う意味で料亭加茂免の経営)です。毎週金曜日は当時、人気番組「サウンド・インS」に出演していた世良譲氏が弾かれていました(この方も71才で逝去)。
その日以外は、レストラン・バンビの「ピンちゃん」が病気のリハビリでドラムを叩き、私がピアノを弾かせてもらいました。東海ラジオでの番組が終了しても「ベルシャトー南山」に引き継がれました。
2番目に緊張したのは「ソワレ・ド・パリ」。その後からは「楽しくて仕方がない」状態。
今では昔の動画をYouTubeのAFJCシャンソン・チャンネルで見て楽しんでいます。
世良さんと並んで「サウンド・インS」の花形出演者だった「しばたはつみ」さんは、私が気に入っていた(元来、ジャズを好きではなかった)人で彼女のヒット曲「マイ・ラグジュアリー ナイト」(作詞:来生えつ子/作曲:来生たかお)を真似て「ラグジュアリー・シャンソン」の造語を作りました。それにしても「しばたはつみ」さんの57才での早逝は残念です。
PS:世良さんは明治大在学中からプロ活動し、白木秀雄クインテットで活躍。名古屋の来演は1974年からでTBSテレビに良く出演。後に「モントルー・ジャズ・フェスティバル」で著名となりました。
世良さんに続くピアニストとしては、エルボー・スマッシュタイプの前衛ジャズで知られた「山下洋輔」、ラテン・タッチのジャズ・ピアニストとして人気なった「本田竹広」、そして「鍵盤の妖精」と私が名付けた才色兼備でお公家さんをルーツに持つ気品漂う田代ユリさん、そして菅原洋一さんの伴奏バンド(5人の美女グループ)としてmss会館にも出演した国府弘子さん達・・・。懐かしく思い出します。
私の人生には、その時々に大切な人が現れて下さって幸せデス。