以前のブログに書いた様に、アルゼンチンの音楽研究者は、シャンソンの評論家とは比較にならない知識を有している。
高場、大岩、加年松各氏等の著作は、他に類を見ない。
それと言うのも、目加田男爵のようにフランスの社交会でも一目置かれたダンスの名人が居て、日本がアルゼンチンに次いでタンゴ通が多い国となった事によるらしい。
私達と関係のあるアーティストとのエピソードを交えて記述します。
【ドミンゴ・モーレス】
タンゴの新星と騒がれたモダン・タンゴのバンドネオン奏者。名古屋公演の後、夜明けまで演奏の極意を教えてくれた恩人。Mss小劇場でのコンサートでは「ドラム」を加えて演奏。残念な事にAIDSで早逝。
【グラシェラ・スサーナ】
アルゼンチン出身の私の友人は2人。音楽史に残る世界のアーティスト「アストル・ピアソラ」と日本で最もLP売上が多い外国人歌手「グラシェラ・スサーナ」。
彼女のLPをタテにして積むと富士山より高いとの伝説有、グラシェラとは彼女が17才の時からの友人。日本初リサイタルは軽音楽の集いmssの三浦君、中村君そして私3人が5万円づつ(当時の私の初任給は3万円)出し合って愛知県勤労会館で行ったものです。以来「アルゼンチン」から「世界」のピアソラになった彼と「日本」のスサーナになった彼女の2人が私の人生の大切な人となりました。
【ロス・カントーレス・デ・キジャウアシ】
メキシカン・ボレロは3人組(トリオ・ロス・パンチョス、トリオ・ロス・ディアマンテス、トリオ・ロス・デルフィネス等)、アルゼンチンは4人組(ロス・アンダリエゴス等)。
ところが「月の家の歌い手達」と言う意味のキジャウアシは5人(!)当然リズムもハーモニーも複雑でモダンとなる。
私にとって忘れられないのは、ブエノシアイレスでのグラシェラ・スサーナが催してくれた歓迎会で彼らが「浴衣姿」で歌った事。
【エドムンド・リベーロ】
言わずと知れた「エル・ビエホ・アルマセン」のオーナーでもある歌手。私達の演奏の為に本来CLOSEなのに、リハーサルさせてくれた心優しい人。
【セステート・マジョール】
バンドネオンのホセ・リベルテーラが率いる楽団で1987年以来、1989年、1999年と来日。
私がパリで観た彼らのコンサートは日本でのステージとダンサーの衣装が全く違い、その洗練さにビックリ。タンゴ・アルゼンチーノの時もそうですが流石フランスと思った次第。
【フェルナンド・テル】
私とは直接の関係がないのですが阿保郁夫さんの師としてのエピソード有。1年間かかって「ノスタルヒアス」をレッスン。帰国時に「これを4小節歌えればどんなタンゴも歌える」と。
次々と不慣れなレパートリーを増やそうとする歌手(日本のシャンソン歌手にも通ずる)を思うと、お手本の様な奥義につながるお話。
あまり知られていませんが、福島敬夫氏と河内敏夫氏とトリオを組まれた事も有。
【ドナード・ラシアッティ】
イタリアからの移民で「アスタ・シエンプレ・アモール」のヒットで知られる。元々、アルゼンチンとウルグアイはひとつの国で(ウルグアイ共和国)、タンゴはウルグアイが本場と主張。
「ラ・クンパルシータ」「淡き心に」が知られている。
今日は、この辺で・・・。
続編は次の機会に!