古き良き時代と言う程ではないけれど、初期のパリ公演には幾つもの思い出有。
通訳が「上の手、下の手」と訳しているのを取材中のNHKスタッフが聞きとがめて「加藤さん、カミテ・シモテですよね」と耳打ち。
それ以来、通訳なしで身振りを交えた日本語で充分伝わる事を知りました。
その時の方は日本初の衛星中継で私の番組をON AIR。
その場にいたフランス人達は、テレビ放送すると言う事はよほどの著名な日本人・・・と”美しい誤解”。
誤解と言えば小澤征爾がパリで指揮した時、私と間違えた人が幾人も。
長髪は似ているし、当時私のサインはピアノを描いてShujiだったので”Seiji”と思い込んだらしい。
ある時の公演を聴きに来たパトリック・ヌジェがミッシェル・フューガンと私が親しいと知り、「僕は彼のバックバンドをしていたヨ」と言って、それを契機に仲良くなり「エルム」にもずい分出演してくれました。
SACEM(日本のJASRACに相当)で私にユニバーサル・フランスからのメダル授与式の折、役員が「ムッシュ・カトウのお陰で、あの仲の悪くなっていた2人(ドラノエとフューガン)が仲直りをした事にお礼を言います」とのお言葉有り。
この時、SACEMの食堂で「群衆」の元曲がアルゼンチンのアンヘル・カブラールだと教えられました。
アレコレ思い出は尽きないので、また続編をいずれ・・・。