的屋(テキヤ:祭礼等の露天商)の男性が、私の最初の職場「重度身体障害福祉施設 緑風荘」へ入所。
ヤクザに頭をカチ割られて半身不随。
ある日の夜、禁止されているのに飲酒。注意した私に「なにを!」と殴り掛かり、私が足払いをしたら転倒。
救急搬送の結果、多少の出血はあったけれど入院は逃れたものの本来なら大問題。
しかし彼は荘長に「酒を飲んだ俺が悪い。加藤先生は悪くない」と必死に私の無罪を懇願。
それ以来、私の言う事は何でも聞く模範生に。
その後、彼に油絵を描く事を勧め、それなりの絵になったので知人のブティック兼画廊に置いてもらったら”何と!売れた!”嬉しい事件第1号。
2つ目は、私のプライベート(過ぎる?)お話。
高校の恩師が私の2度目の職場へ、お子さんの保育園入所相談に見えた折の事。
面接室で、夫婦関係等を記述記録。
恥かしいやら申し訳ないやら。
次いで、銃刀法違反で指名手配中のヤクザの親分を捕らえたお話。
親分の子供を預かっている舎弟にウソを言って電話をかけさせ、電話のダイヤル音(当時は、ジーコ・ジーコと言うダイヤル式黒電話)の長さで見当をつけ、トイレの窓から外で待機中の職員に電話番号のメモを投げ落とし、結果的に今池のホテルをパトカー10台ほどで取り囲んで見事、お縄!
本来なら警視長官表彰ものだが公務員が職務がらみにやった事なので幻の表彰と成り候。
そして、次には新聞の特ダネのお役に立てた事件。
ある夜、エルム3階で仕事中に、窓から外を見下ろしたらあちこちに無灯火パトカー。
「何か、あるな」と思って見に行ったら辻ごとに多くのパトカー待機。
さっそく各新聞社へ一報。運よく中日新聞のみ旧知の記者が夜勤中で急ぎ取材に。
その内に大音量で暴走族登場。
待ってましたとばかりに暴走族を追うパトカー。
映画で見る「大捜査線」のごとき光景にビックリ。
翌日朝刊は、中日新聞が特ダネ。他社は夕刊の小さなベタ記事。
最後は、万博がらみ=国際的出来事。
Alliance Francophone総会で、私が万博の意義について「自然との共生」と題して演説。
それを聞いた駐仏レバノン大使館の女性が駆け寄って「素晴らしい内容だったわ。B.I.E.総会で報告します」と。
言葉通り、愛知万博グローバル・イメージソング「ブラボー!ムッシュ・ル・モンド」や万博史上初となる「万博巴里祭」等の文化的取組みを報告。
開催期間中には「エルム」を訪れ「約束は果しましたヨ。この場所は本当に素晴らしいスポットね」とのお言葉。
何より光栄な出来事(事件)でした。