アルゼンチンの有力紙「クラリン」のコピーが出てきて、エスペランサのアルゼンチン公演当時の事を想起。
各紙報道合戦で、中にはマラドーナの記事より大きな紙面のものも。
「クラリン」1面トップ記事となったと話題に。
記事の中には有り得ない画面として巨匠4人(カンバレリ、エクトル・ヴァレーラ、ホセ・リベルテーラ、カビエージョ)の名が読み取れるものも。
そう言えばこの時、SADAIC会長ロベルト・パンセーラが私の事を「我が楽団で歌った唯一の日本人」と紹介。
確かに大阪万博のアルゼンチン館で私は毎回マイクを渡され、歌っていましたがそれを覚えていたなんて。
そう言えばエセイサ空港到着後即記者会見し、いきなりテレビ出演した時、訳も分からず(時差ボケ甚だしい)演奏した「レクエルド」は、その日のメイン楽団プグリエーセの代表曲。
作者が大喜びして握手を求められました。
グラシェラ・スサーナが催してくれた歓迎会も記事に。
市立サンマルティン劇場で与えられた友好証は私達のお宝。
アルゼンチン最大(300人)の「エル・ビエホ・アルマセン」で収録したものがラジオの深夜番組でオスカル・プリオーレ(人気評論家)によってON AIRされた事から、現地のタクシーに乗ると運転手からサインを求められ「お代はいらない」と言う事が続いた!
懐かしい想い出です。