シャンソンの殿堂として一世を風靡した「銀巴里」で独特の東北弁を駆使して、その存在感で他を威圧した工藤勉さん。
私も何度か聴かせていただきました。
”なまり”を逆手にとって、初めて聴く人の中にはアッ気にとられる人もいたとか。
思えば「銀巴里」は作本社長の方針なのか、個性豊かな歌手もジャンル問わず出演させてみえました。歌手達も、それに応えて誰よりも早く新曲披露をしようとしていました。
余談ですが、少し前に工藤さんの縁戚歌手にもお目にかかりました。
工藤さんが活躍された頃は、今と違って東北弁で歌うのは勇気が必要だったと思います。
そんな個性の方が活かされた良き時代の思い出のひとコマ。