親を見て子は育つことは確かですが、
私の場合、母は三半規管に問題があって音楽好きにも関わらず楽器はまるでダメ。
教員時代も、音楽の授業は専科の先生と交替授業。
私の息子は、今はピアノを人前で弾くようになりました。
「カエルの子はカエル」とおっしゃる方が多いのですが、
息子はお婆ちゃん子で母(彼にとっては祖母)を見て育っています。
色々なことにさり気なく気を配りますが、
私の母に対して特別親しそうな感情も表現はしていませんでした。
ところが、母が亡くなってからの一年半くらいの間の彼の働きぶりを見ていて、
いかに深く母と関わり、大切に思って来たかに気付きました。
本来、喪主である私が火葬の時も東京でステージ。
フランス人アーティストと全国ツアー中で、母の遺骨を抱けたのは一ヶ月後。
その間、一家の大黒柱の如く働いたのみならず、
母が半年後に迫られていた立ち退きに際しての家屋解体前の手続き・作業の手際良さ。
そして、名キャスターとして名を馳せた日比英一元CBCアナウンサーによる
司会の言葉にあったように、
「歴史に残る斬新で盛大な偲ぶ会」に際してのパンフレット作成から開場設営。
特に、ウェスティンナゴヤキャッスル天守の間という広い空間を
高さも生かしたディスプレイでの「遺品展示会」と
500名もの参加者のあった追悼食事会&コンサートの台本から進行まで…。
母の魂が乗り移ったかのようなその働きぶりを見て、
母が本当に喜んだのは、息子の私の今ではなく、
孫である祐滋の自分への愛情の深さと、
やがて近い将来、私以上のことを成し遂げるであろう予感だったのではないかと、
今、しみじみ思います。
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母亡き後に気付いた事
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