Quantcast
Channel: 加藤修滋のブログ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1933

オペは上手だけれど…

$
0
0

母は無くなる2週間前まで名古屋市内の病院に入院していました。

母の父(私の祖父)は、名医を多数輩出した旧制熱田中学(今の瑞陵高校)の
教師だったことから、母はドクターとのお付き合いも多く、
医学的知識もそれなりに持っていました。

過去、骨折治療や乳がんの手術をはじめ、
幾つもの診療科目でその病院にかかった常連患者だっただけに、
病院に対する評価も的を射ていました。

その母は、最期の入院時に「この病院はオペは上手だけど看護がダメになった」
と言ってアレコレ話し始めました。

92歳の老夫人が「オペ」という用語を口にするのにも驚きましたが、
病院の雰囲気の変化を見抜いていたことも驚き。



かつて祖父の教え子がその病院の院長になって少し経った時、
「病院に革命が起きている」と言った事を思い出します。

当時珍しかった病院でのサロン・コンサート依頼をされた時も
「父の教え子の為に!」と言って、母がひと肌脱いでプランニングしました。

そのことを聴きつけて感激した中日新聞の記者がカラ―全面の大きな記事にしました。

それをきっかけに名古屋では病院のサロン・コンサートが大流行しましたが、
今では、下火になってしまいました。
(アマチュアによる慰問形式のものは数多く有)


確かに今もその頃とマニュアル的に、
同じパターンで運営されているのかも…
でも、館内に流れるクラシック音楽の音量は耳障りで
(天井の埋め込み式無指向スピーカーなので、
低域がカットされた聴きづらい音質となざるを得ない)
特に喫茶ルームや売店は大音量。

診察や検査指示の声も、母曰く「保険の外交員みたい」で、
契約に関する事柄(病院で言えば問診事項)以外に耳を傾けない。

でも、母が一番気にしていたのは、食事の事。

飲食が全くできなくなったきっかけは、
大好物だった杏仁豆腐を病院で没収されたこと。

ずっと糖尿病の薬を投薬されているので、
糖尿病食で当然…と言われましたが、
母の主治医に報告したところ、
「92歳の彼女に大切なのは食べる事だから、
羊羹の一本でも食べさせれば良い」と一喝。

でも、入院先で看護師に内緒でプリンを食べることに気が引ける毎日が、
精神的に負担だった様子。

転院のその日「サイダーが飲みたい」と言って
嬉しそうに飲んで移送車輛に乗った顔が忘れられません。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 1933

Trending Articles