母は無くなる2週間前まで名古屋市内の病院に入院していました。
母の父(私の祖父)は、名医を多数輩出した旧制熱田中学(今の瑞陵高校)の
教師だったことから、母はドクターとのお付き合いも多く、
医学的知識もそれなりに持っていました。
過去、骨折治療や乳がんの手術をはじめ、
幾つもの診療科目でその病院にかかった常連患者だっただけに、
病院に対する評価も的を射ていました。
その母は、最期の入院時に「この病院はオペは上手だけど看護がダメになった」
と言ってアレコレ話し始めました。
92歳の老夫人が「オペ」という用語を口にするのにも驚きましたが、
病院の雰囲気の変化を見抜いていたことも驚き。
かつて祖父の教え子がその病院の院長になって少し経った時、
「病院に革命が起きている」と言った事を思い出します。
当時珍しかった病院でのサロン・コンサート依頼をされた時も
「父の教え子の為に!」と言って、母がひと肌脱いでプランニングしました。
そのことを聴きつけて感激した中日新聞の記者がカラ―全面の大きな記事にしました。
それをきっかけに名古屋では病院のサロン・コンサートが大流行しましたが、
今では、下火になってしまいました。
(アマチュアによる慰問形式のものは数多く有)
確かに今もその頃とマニュアル的に、
同じパターンで運営されているのかも…
でも、館内に流れるクラシック音楽の音量は耳障りで
(天井の埋め込み式無指向スピーカーなので、
低域がカットされた聴きづらい音質となざるを得ない)
特に喫茶ルームや売店は大音量。
診察や検査指示の声も、母曰く「保険の外交員みたい」で、
契約に関する事柄(病院で言えば問診事項)以外に耳を傾けない。
でも、母が一番気にしていたのは、食事の事。
飲食が全くできなくなったきっかけは、
大好物だった杏仁豆腐を病院で没収されたこと。
ずっと糖尿病の薬を投薬されているので、
糖尿病食で当然…と言われましたが、
母の主治医に報告したところ、
「92歳の彼女に大切なのは食べる事だから、
羊羹の一本でも食べさせれば良い」と一喝。
でも、入院先で看護師に内緒でプリンを食べることに気が引ける毎日が、
精神的に負担だった様子。
転院のその日「サイダーが飲みたい」と言って
嬉しそうに飲んで移送車輛に乗った顔が忘れられません。
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オペは上手だけれど…
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