フランス語や文学のオーソリティによる「シャンソン研究所」に、三木原・吉田両氏の誘いで初参加してから、ずい分と年月が流れた。
この度、若い研究者「高岡優希」氏が監訳した「ジュルジュ・ブラッサンス」の生涯に関する秀逸な書物を一気に読破した。
親友「ミッシェル・フューガン」はじめ本に登場する私の友人・知人の多さに驚いた。
私とエルム歌手達を自宅に招いてくれた古くからの友人である「マルセル・アモン」
私達のパリ公演に幾度も来場してくれた「ルネ・ルバ」
「イヴ・モンタン」「マキシム・ル・ファレスティエ」「アンリ・タシャン」・・・等。
日本では”シャンソン”と言えば「エディット・ピアフ」で、日本人歌手のレパートリーも彼女のものに偏っている。
「ジュルジュ・ブラッサンス」作品では「雨傘」「幸せな愛などない」「ゴリラ」「あなたとランデブー」が良く歌われているくらい。
彼は、出演場所にもこだわりがあり、活動後期にはブルーノ・コカトリックスの「オランピア」が産業主義に傾くのを嫌い、「ボビノ座」を好んだ(1972年には3ヶ月のロング・ランを行って倒産の危機を救った)。
長い間、重度の腎臓病に苦しみ、1981年に60才にて逝去。
私は直接会った事はないが、INA所有の白黒映像でその少々ニヒルな、それでいて少年が汗をかきながらギター弾き語りをする様な姿が目に焼き付いている。
追記
長くなるが、彼の言葉を引用する。
「・・・彼ら自身が自分の神なのです。そのため彼らは以前よりも深く考えることが少なくなって、いずれにしても考えることが物質的なレベルに溜まっているのです」。
要するに歌手であるとともに哲学者なのです。