私の事を「Shuji」と呼び、マネージャーに「日本の私の友人」と紹介してくれた「シャルル・アズナヴール」。
彼の作品「青春と言う宝」はじめ7曲もの私の詞を「法定訳詞」として登録をしてくれた人でもあります。
「パレ・デ・コングレ」でのリサイタルの折、開演前だけでなく終演後も楽屋で面会をしました。
いつもは余り表情を表に出さない人ですが、握りこぶしを作って「いかなる戦争も許してはいけない」と言った事が心に残っています。メディアのインタビューでは伺い知れない本音に接する事が出来たのも「Shuji」「Charles」と呼び合う仲ゆえと、今も心に残る出来事です。
彼の逝去に際し、奥様の「ウラ・アズナヴール」からメッセージカードを頂き、週刊新潮の「墓碑銘」には、私のシャルルに対する想いを掲載する事ができました。