大阪万博での懐かしい思い出が甦るパンフレットが入手できました。
あの時は、世界青少年の集い(各国から500人)の一員として参加。
リン・リンウェイと言うフィリピン・ファースト・ナショナル・バンク頭取の娘と仲良くなった懐かしい思い出があります。そして万博会場アルゼンチン館、メキシコ館、フランス館の3つをショータイムにあわせて駆け回りました。
アルゼンチン館で毎日マイクを持って「カミニート」を歌った事は既にブログで書きました。
この万博協会の29冊子には1851年ロンドン博での水晶宮、1899年パリ博でのエッフェル塔等興味深い事が満載。でも「何処かなァ」と思う事もたくさん有。
特にアメリカ合衆国ではなく”ワシントン州”が参加との記述。その為に知事・州政府が立法措置まですると言う点は驚き。
夜間営業で、閉館は午前2時30分と言う事も知った。
そしてもうひとつ疑問。
1967年「これがモントリオール博だ!」の特集は有賀聞平(朝日)、中村勝(読売)、樋口恒大(日経)、吉竹秀紀(サンケイ)の4氏が座談会メンバー。
何故、毎日が居ないの?
1967年と言えば大坂万博3年前起工式が行われた年。1970年3月15日から9月13日の6ヶ月で3,000万人来場予想。
外国人は東京オリンピックの20倍(!)の100万人・・・。
設計の丹下健三氏の名前は世界に鳴り響いていた事も有利。
細かい事を言えば民間参加出展各社の中に「日本ペプシ・コーラ」は有るのに「日本コカ・コーラ」は無く、メディアが読売新聞だけと言うのも何故なのかなァ。
関連公共事業費総額8,451億円と言うのも今年の万博と比較したくなりますねェ。