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Channel: 加藤修滋のブログ
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フランスの共演者達

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かつてモーリス・ファノン追悼シャンソン・フェスティバルを毎年開催していました。

 

 

 

 

 

場所も「ル・コネッターブル」「テアトル・ド・パリ」「デジャゼ劇場」「ドン・カミロ・シャンゼリゼ」「エルブレイ市立劇場」「コメディー・ド・パリ」等名だたる所。

それ以上にボランティアで無料出演した参加歌手は驚く程の人達。

 

 

この追悼フェスは、フランスのメディアで取り上げられ話題となりました。

フランスを代表するアーティスト、モーリスの追悼催事発案者が、フランス人でなく東洋人の私であった事がフランスのメディアが多く報じた理由の様です。

 

 

コラ・ヴォケール、ジャクリーヌ・ダノ、カトリーヌ・ソヴァージュ、ジョルジュ・シュロン、アラン・ルプレスト、イザベル・オーブレ、シモーヌ・ラングロア、マルク・オジュレ、クリスチャン・パクー、ジャン・マリー・ヴィヴィエ、ジャクリーヌ・デュラク・・・その殆どが日本人と共演した事が無い歌手。

 

 

すばらしい思いでの中にひとつ思い知らされた事がありました。

幾度目かのモーリス追悼のフェスで、我々と関係の乏しい日本人歌手が日本語で「スカーフ」を歌いました。

 

 

伴奏の年配ピアニストは、永くモーリスの伴奏をした方。

なんとロックン・ロールのリズムで演奏(!)を始め、あわてて舞台袖から「リズムが違うよ」と言おうとして譜面を見たらアレンジをしていない単なるCメロ譜。

傍らでJ.P.メナジェが「日本人は彼女の様な歌い方の歌手が多いよネ」と。

つまり、ピアニストは歌い方にあわせて演奏したと言う事。

 

 

その言葉通り、コラ・ヴォケールがフランス語で歌った哀愁に満ちた「スカーフ」は、前出の日本人歌手と同じ「Cメロ譜」でした。

同じ楽譜で、こんなにも違うものかと思いました。

 

 

余談ですが、後日スペイン語で「スカーフ」を歌ったアルゼンチンのジャイロもまた切々として想いの伝わるものでした。

 

私が、フランス人好みの歌唱法を意識するようになった契機となる出来事でした。


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