mss会館の三大恩人は、
美輪明宏、菅原洋一そしてグラシェラ・スサーナ。
特に私たちエスペランサのアルゼンチン公演は
グラシェラ無しでは語れません。
ちょうど彼女が頭角をあらわし
夫君アルベルト・フォンタン(私たちの間では「アンポンタン」という愛称で呼ばれていました)は、日本で最もLPの売れた外国人歌手となる直前の彼女のギャラで億万長者となっていました。
当時、超インフレにおちいっていた頃のことです(貨幣価値は今の10倍)
公演の公式記録には出て来ませんが
当時アルゼンチンで人気絶頂「ロス・カントーレス・デ・キジャ・ウアシ」やタンゴ界の重鎮マエストロたちによるバンドネオンの競演、ホルヘ・ファルコン等の歌手・・・それはすばらしいものでした。
私たちの公演画像は全く残っていないので(もちろん、テレビ曲「カナル9」には画像がある)中京テレビの兼村さん(キー局から出向)が作られた「Music Fellow in Nagoya」は貴重なもの。
グラシェラ・スサーナはmss小劇場、カフェ・コンセール・エルムに出演する度に映像を残しています。
中でもヒット曲でなくタンゴやフォルクローレの知られざる名曲ばかりを集めたステージ映像は貴重。
彼女は、かつて自宅の火災による負傷に加えて、
糖尿病による極度の視力低下で、
人に手をひかれないとステージに出られなくなって来ました。
エルムの歌手たちが費
用を捻出して目の手術は成功。
でも処方された薬は、帰国後まもなく自宅(と言ってもウィークリー・マンション)が盗難にあい(以前にも姉・クリスティーナ愛用の形見のギターも盗難)手元からなくなってしまいました。
そう言えば、南山大学、愛知県立大学はじめ、各地の教壇に立たれた松下先生ご夫妻がアルゼンチンでのご自身の出版記念会に行かれた折、グラシェラ・スサーナを自宅へ送ろうとしたら「ここで降ります」と。
そこは、とても治安の悪いウィークリー・マンション街。
彼女は映像も写真も数多く残していますが
私の心に、グラシェラ・スサーナの歌声と共に、彼女の人生が光輝いて残っています。