最近、セルジュ・ラマの「誇り高き人生の灯」を歌う
シャンソン教室生徒が増えています。
恐らく、教室生徒の高齢化によるもの?
親や伴侶を亡くす人たちがこの10年急に増えていますが、
生徒の平均年齢が上がれば当然の現象。
つい先日も、この歌のレッスンに来た人がいました。
「では一度歌ってみてください」と言って、
彼女が歌い始めてほんの数小節で、何か胸に迫るものがありました。
歌い終わった時、うるんでいた彼女の眼より、私の眼の涙量が多かったのは何故?
身辺の変化を訪ねたところ、二ヶ月程前に、自分にとっても育ての親同様の存在だった、
ご主人のお母さんを亡くされたとのこと。
昨年も、実の母を亡くされた方、ご主人を亡くされた方がこの歌を歌われた時、
同じような言い知れぬものを感じたことを思い出しました。
「シャンソンは詞が命」といいますし、それは真実ですが、
その一方で人間の発する歌声、そしてメロディーの響きには、
人の心を揺り動かす何かがあるような気がしてなりません。
この歌の日本語クレアシオン(創唱者)は、浜崎久美子さん。
シャルル・アズナヴールやミッシェル・フューガン等がメッセージを寄せて
話題となった彼女の3rd CDに入っていて、
本当は曲目の後に「~ジョルジュ・ブラッサンスと祖母に捧ぐ~」
というサブタイトルが(原詞同様)記されるはずでした。
ところがセルジュ・ラマ本人は「そのところ削除して」と言ってきました。
彼にとってこの歌の主人公である祖母がいかに大切であり、
またその祖母が愛したジョルジュ・ブラッサンスは
フランス人にとって特別な存在であるかを垣間見た思いでした。
浜崎さんの歌唱は素晴らしいものですが、
技術的にその足元にも及ばないシャンソン教室の生徒さんの歌声が、
それ以上の感動を与える…
正しく言えば聴く人の心の中にある「強い想い」を引き出すことがあるのは、
歌の真髄「祈り、願い、叫び」の具体例と言えます。