名古屋の常打ち寄席小屋が、半世紀の歴史に幕を下ろすという報道が
新聞紙面をにぎわしています。
中日新聞は、5日間に渡って特集記事を連載しました。
「終幕の時」と題されたシリーズの第5話に三遊亭歌笑師匠の話が掲載されていました。
「寄席を開く以上、ある程度の客を呼べる地方の芸人がいないといけないのだが、
それを育てる努力をしていなかった」
これは、エルムがオープンした時、評論家の永田文夫先生が言われたことと同じでした。
菅原洋一さん、美輪明宏さん、そして銀巴里のトリをとった歌手たち
(瀬間千恵さん、堀内環さん、しますえよしおさん、古賀力さん、
村上進さん、嵯峨美子さん、宇野ゆう子さん、奥則夫さん、花田和子さん、荒井洸子さん…)
東京の歌手オン・パレードで客もそれなりに入り、
まるで銀巴里の引っ越し公演」の様相だった時、
「地方の歌手を育てなくては」というアドバイスがあったからこそ、
今のエルムがあります。
足立席亭の言葉「俺の常識は非常識」だから、段々追い込まれていった…
という記事に関しては、エルムも非常識を貫いてきたことに於いては同じ。
ただ違うのは、だから貫き通した主義主張を理解する、
良質なお客様が支えて下さったという点。
閉鎖が決まるとメディアが殺到するのは、他都市でも同じ。
昨年末に大阪の「モン・パリ」、一昨年秋に札幌の「銀巴里」、
閉鎖の時には各々の地方から日仏シャンソン協会に取材が入りました。
「何故、こうした良い店が閉鎖?」の問いに
「閉鎖される前にメディアが書かないから」と毒舌を吐きました。
エルムはその点全く違って、メディアが時折取材報道して下さる事で、
ここまで延命して来ました。
大須演芸場には、出し物として報道価値をメディアが認める物が
少なかったのかもしれません。
報道する価値のある活動を日常的に続けることが大切だと再認識した次第。